2003/3/14
博多10:07発〜鳥栖10:35着 4321M 811(4)
長かった旅も残りあと一日となった。ここまで予定通り行程を消化できたため、この日は遅めに駅へ向かう。
豪遊券の効力は既に切れたため、18きっぷで駅に入る。ホームに上がり、JR九州の車両をしばし観察する。
すると、東京から遠路はるばるやってきた「はやぶさ・さくら」号がやってきた。東京を昨日の夕方に出て、
10時前に博多に着くダイヤだ。飛行機の運賃が安くなり、新幹線もスピードアップした現代ではやや時代遅れな列車だが、
一度東京から九州まで乗ってみたいものである。
しばらく列車を観察した後、鳥栖へ向かう。
豪遊券が無いのでもう特急には乗れないため、快速列車に乗る。
鳥栖に着くと、先程のさくら号が停車していた。この駅で切り離しを行うためさくら号は長時間停車するのだが、
それにしても快速に追いつかれる特急というのも珍しい。
鳥栖10:58発〜夜明12:00着 1837D キハ125(1)
鳥栖は、国鉄時代の佇まいをそっくりそのまま残している駅だ。
古びた地下通路、昔ながらの屋根、嵩上げされていないプラットホーム。
有名なシュウマイ弁当を買い、次の列車に乗る。これから乗るのは久大本線の普通列車だ。
久大本線は鳥栖の次の久留米が起点だが、古くからの要衝である鳥栖に敬意を表すかのようにここまで乗り入れてくる。
車両は新型気動車であるキハ125単行で、昼前の中途半端な時間ながら7割方席が埋まっている。
この車両、新しいのはいいがトイレが付いていないのが気になる。
鳥栖を発車して久留米まで2駅だけ鹿児島本線を走り、いよいよ久大本線へ入る。
しばらくは筑後川沿いの平野部を走る。田主丸、うきはなど、やはりこのあたりは妙な名前の駅名が多い。
うきはを過ぎると、筑後川沿いの平野はなくなり、渓谷に沿ってうねうねと進む。やがて、2日前に通過した夜明駅に到着。
夜明は、山と筑後川に挟まれた狭い土地にある駅だ。駅前には国道とわずかな商店や民家があるだけで、
2路線の交わる駅としては寂しい。
夜明12:28発〜城野14:09着 952D キハ147(2)
古い駅舎でぼんやりと列車を待つ。30分ほどして日田彦山線の列車がやってきたので、乗る。
昨日通った釈迦ヶ岳トンネルを抜け、田川後藤寺まで戻る。車内は今日も空いていて、
ボックス席を占領して鳥栖で買ったシュウマイ弁当をのんびりと食べる。
田川後藤寺を出て、いよいよ九州島内最後の未乗線区に乗り入れる。
次の停車駅は田川伊田。田川市の第2の中心駅だ。このあたりは平成筑豊鉄道の路線が複雑に絡み合い、
なんとも複雑な路線網を形成している。しばらく走ると、採銅所という駅がある。駅名からも分かるように、
この辺は資源の宝庫なのだろう。炭鉱がなくなっても、石灰石などを取る鉱山が沿線でまだ稼動している。
トンネルを再び峠を抜けると、終点の城野へ向け下っていく。途中の志井公園では、北九州モノレールの線路が見えた。
もう北九州の都市圏に入ったようだ。車内の乗客も増えてきた。
そして、この列車の終点・城野に着いた。
この時点で、九州島内のJR路線すべてに乗車したことになる。
城野14:10発〜小倉14:19着 5556M 415(4)
城野駅で下車すると、向かい側のホームに415系の普通列車が滑り込んできた。
完乗の喜びに浸る間もなく乗り込み、小倉へ向かう。
実はこの時点で、帰りの交通手段の手配を何もしていなかった。高速バスで帰ることは決めていたが、
このあたりからだと高速バスは博多、下関、徳山、岩国、広島などから出ている。
その中でも、発車時間のもっとも遅い岩国発のバスを選んだ。このバスは萩を発車し、
途中何箇所かに立ち寄りながら岩国までやってくるので発車が遅いのだ。
小倉駅の旅行センターでバスを予約し、それでも時間が余ったので駅前をぶらぶらして時間をつぶす。
この小倉駅は、コンコースにモノレールが乗り入れてくるのが特徴だ。
小倉15:53発〜下関16:07着 5566M 415(4)
小倉駅に戻り、下関行きの普通列車に乗り込む。いよいよこの列車で、5日間過ごした九州を離れる。
関門トンネルより先は直流電化となるので、この区間を走る列車は交直流電車の415系限定となる。
小倉を発車し、巨大な操車場の線路を掻き分けて門司に着く。
列車は門司を発車すると、ゆっくりとした速度でトンネルへと入っていく。
このトンネル入り口が交流と直流を分けるデッドセクションとなっている。
列車がトンネルに入りきると、一気に速度が上がりあっという間にトンネルを抜ける。
トンネルを抜けてすぐ、鉄橋で川のような水路を抜ける。
これは実は海で、関門トンネルの出口は彦島という本州の突端の島にある。
しばらく走り、昔ながらの風情が残る下関のプラットホームに到着した。
下関16:29発〜宇部新川17:24着 3844M 105(2)+123(1)
下関ではすぐに山陽本線の列車に接続するが、この後宇部線直通電車が来るので、それを待つ。
その間、駅構内を歩いてみる。改札口や地下通路は昔のままの姿だった。
今度の列車は、宇部線用の105系と123系を連結した3両編成で、当然ながら全車両ロングシートだ。
さっきの115系に乗っておけばよかったと少し思いながら乗り込む。
下関を出た列車は、海沿いに走るかと思いきや海はまったく見えない。むしろ山の中をずっと走っている感じだ。
トンネルで小山を抜ける合間合間に町があり駅がある。
しばらく走って小野田に着く。これで4日前に乗り残した山陽本線末端部を乗車し、
神戸から下関までを完乗したことになる。
宇部に着き、宇部線に入る。今度は宇部線の乗り残し区間である宇部〜居能間に乗車する。
宇部から3駅で宇部新川に着いた。
宇部新川17:42発〜宇部17:52着 1849M 105(2)
宇部新川でしばらく待つ。宇部新川の駅舎は木造の大きなもので、内部はがらんとしている。
がらんとしているばかりでベンチも無いので、券売機の前で立って列車を待つ。
駅前にはそこそこ店などもあるようだ。この駅はもともと宇部駅を名乗っており、今は宇部駅の名は山陽本線の駅に譲ったが、
こちらの方が今でも町の中心部だ。ただ、山陽本線の宇部駅には降り立っていないので、
どちらの駅前が栄えているかは分からない。
再び宇部線に乗り、宇部駅に戻る。
宇部18:04発〜徳山19:13着 564M 115(4)
この旅行もそろそろ終わりが近づいてきた。山陽本線の普通列車に乗り、一路東を目指す。 乗車している間に日が暮れた。小郡、防府を過ぎ、徳山で下車する。
徳山19:18発〜岩国20:43着 2246D キハ40(2)
徳山からは山陽線に乗り続けてもいいのだが、折角なのでまだ乗っていない岩徳線に乗車する。
車両はJR西日本独特のリニューアルを施されたキハ40である。
櫛ヶ浜で山陽本線を離れ、岩徳線に入る。外は真っ暗でもはや何も見えない。だが、どの駅もホームが非常に長いのが分かる。
岩徳線は山陽線のショートカット路線として生まれ、一時期まで山陽本線を名乗っていた。
そのためかつては長編成の列車も走っており、そのためにホームも長い。
だが、その後勾配が急などの理由で本線の座を再び明け渡してしまい、
やってくる列車は今や2両程度のローカル列車のみである。
そのため、ホームだけは立派だがやってくるのはローカル列車ばかりという、
御殿場線や関西本線と並ぶ「幹線からの転落路線」の一つとなっている。
ちなみに、山陽新幹線、山陽道、国道2号線といった輸送の動脈は山陽線ルートではなく岩徳線ルートを通っており、
在来線以外の交通網はいまだにこちらが主流である。
途中、周防高森の駅で行き違いのため長時間停車する。
この駅は2面3線構造だが、真ん中のホームには線路が無い。構内には人気が無く、
薄暗いホームに立っているとなんだか寂しくなる。
車内の客も、徳山を出た頃にはそこそこいたはずだが、今やほとんどおらず寥々としている。
薄暗い山間部を抜け、ようやく岩国に着いた。あとは東京に帰るのみだ。
岩国21:25発〜浜松町8:05着 防長交通 萩エキスプレス
岩国の駅前に降り立つと、小雨がぱらついていた。この5日間天候には恵まれたので、
旅行を通じて初めての雨だった。
駅前のファーストフード店で時間をつぶした後、バス乗り場でバスを待つ。同じ高速バスに乗る客は5人ぐらいのようだ。
やがて、時刻どおりにバスがやってきた。席に座るとまもなく寝てしまい、起きるともう浜松町に着く寸前だった。
途中道が空いていたせいか、浜松町のバスターミナルには随分早く着いた。
延べ10日間にも及ぶ北海道、九州遠征で、実に3500kmもの路線を乗りつぶした。これはJR全線の20%近くにも及ぶ。 おかげで走破率は一気に80%の大台に乗った。また、JR北海道、九州の全路線を完乗したのだった。