出張ついでに九州小旅行

 九州は、高校時代に一度だけ訪れて以来、未踏の地だった。当然ながら乗りつぶしも全くできていない状態だった。 そんなある日、大学の用事で北九州に行くことになった。行きは福岡空港に飛び、帰りは 門司から大阪まで名門大洋フェリー、一日実家に滞在して大阪から東京までJRバス「東海道昼特急」とした。 (ちなみに、名門大洋の2等寝台は綺麗でなかなか良かったです)
 そのような訳で、行きの福岡空港から北九州までが鉄道での移動となった。鹿児島本線経由は以前乗車したので、 今回は篠栗線・筑豊本線経由とした。
 出発の日は良く晴れていて、飛行機からは富士山が良く見えた。 いつも乗る羽田−大阪線は伊豆半島の先端を経由するルートで飛ぶのだが、 この日乗った飛行機は山梨県の上空を飛んでいた。羽田−福岡線はルートが異なるのだろうか。 福岡空港は空港用地ぎりぎりまで住宅があり怖かった。伊丹空港も相当なものだが福岡はそれ以上だった。 しかもこの日は着陸時の横風が強く、着陸時に横揺れして羽が地面に接触するかと思ったほどだった。

目次

2002/11/13

福岡空港〜博多 福岡市交通局

 思った以上にこじんまりした福岡空港の端に、市営地下鉄の福岡空港駅がある。 まずはここから博多駅に向かう。 それにしても福岡空港は都心に近い。大阪で言えば新大阪に空港があるようなものか。 山陽新幹線が航空機とのシェア争いで苦戦するのも分かる。

   
福岡市営地下鉄を走る車両。地下鉄2000系、1000系、JR303系。


見にくいが、福岡市営地下鉄に京急の広告が。恐るべし京急。

博多〜折尾(篠栗線・筑豊本線経由)

 生まれて初めて博多の町に降り立ったが、時間もないし街の構造もよく分からないため、 駅前で博多ラーメンを食べただけで列車に乗り込む。 九州を訪れるのはおよそ6年ぶりで、JR九州オリジナルの車両をじっくり眺めるのはこれが初めてだ。 調子に乗って写真を撮りまくった。ひとしきり撮影した後、篠栗線の乗り場へ行く。
 博多駅の在来線ホームのうち、最も新幹線ホーム寄りに篠栗線乗り場がある。 停車しているのはJR九州の最新型通勤車両の817系だ。 前面は真っ黒な切妻型ながら、前面ガラス張りとなっている。 斬新なエクステリアながら、物がぶつかったら割れてしまうだろうしメンテナンスは大変そうだと思う。 側面は東京メトロの新型車両を思わせる真っ平らなアルミ製で、 帯などはあえて入れずにアルミ地の美しさを生かした車体になっている。 乗車してみると、椅子は転換クロスシートで、材質は何と木と革。 同時期に登場した885系特急型車両と同じコンセプトのようだ。 その他にも、網棚がアルミの一枚板だったり、ドア横の手すりが独特の形(東京メトロ新05系と同じ)であるなど、 近未来的なデザインになっている。鉄道ファンとしてはこのような車両に毎日乗れる九州の人がうらやましいが、 正直実用性の面ではどうかなという点がなくもない(椅子が硬いとか)ので、地元の人はどう思っているか気になる。
 博多を出た列車は吉塚で鹿児島本線と別れ、篠栗線に入る。 ところが、篠栗線は何と単線だった。こんな大都市の近郊に単線区間が残っているのかと思った。 最初は普通の住宅街だった車窓が、途中の篠栗あたりからは急に険しくなり、さらには長い長いトンネルに入った。 どうやら博多と筑豊は同じ福岡県でありながら、その間には結構な山脈があるらしく、この篠栗線も開通したのは戦後らしい。 この辺、よそ者にとっては意外だ。
 桂川から筑豊本線に入り、炭鉱で栄えた飯塚に着く。飯塚からは何と複線になる。 博多から離れると逆に複線になるというのも妙だが、 かつて筑豊本線は若松へ石炭を運ぶ大幹線だったことを考えると不思議なことではない。 ちなみに筑豊本線には途中3線区間があったり、主要駅に多くの側線が残っているなど、 かつての栄華の跡があちこちに残っている。
列車は鯰田という田舎の駅に着いた。隣の座席に4人連れの初老の男女が座っていたが、 その人たちの話によると鯰田はかつて炭鉱があって大いに栄えていたという。 きっと筑豊にはそんな町が至る所にあるに違いない。
 列車は直方に着いた。筑豊線の多くの列車の多くはこの直方止まりなのだが、 この日は折尾まで直通する列車を捕まえたのでこのまま乗車していれば良い。 直方からも古びた複線の線路を走る。架線柱と、電化に伴って立て替えられた駅の跨線橋だけが真新しい。 しばらく丘陵を縫って走った後、鹿児島本線との接続地点である折尾に着いた。


783系原型の運転台と、切妻の改造運転台の強引な連結も見られる。


この日乗車した817系は最新型の近郊車。

折尾〜若松

 折尾では鹿児島本線と接続していて、乗り換えれば小倉までは近いが、まだ時間があるので若松に立ち寄ることにする。 筑豊本線のうち、折尾〜桂川間は電化されたが、両端の若松〜折尾と桂川〜原田の区間は非電化のままで、 完全に独立した運行形態となっている。
 国鉄型のキハ40で若松へ向かう。相変わらず線路は複線だが、枕木は昔ながらの木製で古びている。 線路は海沿いの工業地帯と、山沿いの住宅地の間を進む。桜島線や鶴見線といった都市近郊の臨海線とよく似た車窓だ。 盲腸線の終点にしては立派な駅舎を持つ若松駅に到着。

若松〜戸畑 北九州市交通局

 若松からどう戻るかは考えていなかったが、単純に折尾へ戻るのはつまらない。 若松と鹿児島本線の戸畑は小さな湾を挟んですぐ近くで、 両者を結ぶ渡船があることは知っていたが、確か渡船の乗り場は駅から遠かったはずで、道もよく分からない。
 どうしたものかと駅前をぶらぶらしていると、「戸畑駅」行きと書かれたバスがやってきた。 これに乗れば何とかなるだろうと思い、あわてて乗り込んだ。 バスは駅前の幹線道路をしばらく進むと、高架を登り始めた。 高架橋はぐんぐん高くなっていき、料金所を超えると前方に赤い吊り橋が見えた。 これが若松と戸畑を結ぶ道路橋「若戸大橋」だ。橋からの眺めはなかなか良く、若松や戸畑の町や港の様子が良く見える。 若松から戸畑へのルートとして、鉄道雑誌などでは渡船が必ず紹介される。風情があって珍しいからなのだろうが、 このバス路線もなかなか捨てたものではないと思う。

戸畑〜小倉

 戸畑からは鹿児島本線で小倉に向かう。そろそろ夕方のラッシュに差し掛かっているのか、車内は混んでいた。
 小倉では再びJR九州オリジナルの787系・883系・813系等の車両を眺めた。まるで外国の駅にいるかのような感覚だ。 これらの列車を満喫したいのは山々だが、今回の旅はそんな余裕もないため、次回のお楽しみである。

2002/11/15

小倉〜門司港

 さて、小倉到着後はずっと駅前のホテルに宿泊していたのだが、 この日は少し早起きをして門司港までの区間を乗りつぶすことにした。
 小倉を出た列車は、だだっ広いヤードの中を進む。このあたりは本州・九州間の鉄道貨物輸送の拠点となっているのだろう。 ヤードが尽きると門司駅に到着。本州からの旅客列車に機関車を付け替えられるよう、幅広く長いホームといくつもの側線を持つ。 ただし、最近は本州からの旅客列車は大半が415系4連で運転されるため、この施設を持て余しているようだ。
 門司を出ると、本州への線路が地下トンネルへと吸い込まれていく。 列車は山と海に挟まれた狭い土地を行く。人家はあまり無く、港湾施設が目立つ。 そんな所をしばらく進むと、終点・門司港に着いた。
 有名な門司港の駅舎は、木造ながら巨大なもので、本州への連絡船への通路なども残っていた。 古めかしいホームに、813系などの新型車両が停まっている様子は何だかミスマッチであった。
 小倉へ戻る途中、門司の駅で下車してみた。今は橋上駅化されたが、このときはまだ広い古めかしい地下道が残っていた。

JR線乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

路線名乗車区間キロ数
篠栗線桂川〜吉塚25.1
筑豊本線若松〜桂川45.3
鹿児島本線門司港〜小倉11.0
合計81.4

累積乗車キロ数

 総キロ数走破キロ数走破率総路線数走破路線数路線走破率
旅行前19860.912467.662.77%1718851.46%
旅行後19860.912549.063.18%1718952.05%

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
福岡市交通局空港線博多〜福岡空港3.3
合計3.3