2002/10/5
池袋22:58発〜北鴻巣23:57着 2861M 211(10)
北鴻巣0:02発〜高崎0:53着 985M 115(11)籠原-115(4)
「ムーンライトえちご」は、新宿を出発し、池袋・大宮・高崎の順に停車する。 都内から乗るには新宿・池袋か大宮から乗ればいいのだが、 この場合都内から高崎までの乗車券が別途必要となる。「えちご」が日付をまたぐのが高崎だからであるが、 都内から高崎までの運賃は2000円近くなる。 そこで、先行列車で北鴻巣まで行き、北鴻巣で日付をまたぐようにして運賃を節約した。 前に北海道へ行く際に「えちご」に乗った時と同じ手段である。
高崎1:30発〜新発田5:27着 3763M ムーンライトえちご 165(6) 3763M-3921M
高崎に着くとまもなく「えちご」が入線してきた。ここで急行「能登」に抜かれるのも前回の旅行の時と同じだ。
高崎にしばらく停車した「えちご」は、新前橋でもしばらく運転停車する。ここで眠ってしまった。
この列車は「ムーンライトながら」と違い、夜間は照明が消されるためよく眠れる。
目が覚めると新潟に着いていた。新潟を出て、白新線で新発田へと向かううちに夜が明けてきた。
寝過ごしが心配だったが、無事新発田で降りることができた。
165系「ムーンライトえちご」で新潟入り。
新発田6:08発〜新津6:42着 120D キハ52(2)
新発田に着いたのは朝の5時台ということで、当然人気はない。
唯一、駅舎の中のコンビニが営業していたのでそこで時間をつぶす。
コンビニでは、喪服を着た家族連れが買い物をしていた。遠方で葬式か法事でもあるのだろうか。
こんな朝から出かけねばならないのだからよほど遠方なのだろう。
新発田〜新津間は羽越本線の一部ではあるが、新潟と新発田を結ぶ白新線が戦後にできて以来、
羽越本線の特急などは白新線を通るようになり、新発田〜新津間は寂れてしまった。
電化はされているものの、列車本数は白新線に比べてぐっと少ない。
新発田始発新津行きの普通列車に乗る。この列車が走行するのは電化区間であるにも関わらず、やってきた列車は気動車だった。
この区間は乗客が少ないため、電車より短い編成が組める気動車で運行しているのだろうか。
しかし、ワンマン運転が可能なキハ110などで運行するのならともかく、
キハ52ではワンマン運転ができないので効率化にはならないと思うのだが・・・
列車は田んぼの広がる平野を進む。途中の駅は、ホームがやたらと長かったり、交換施設が撤去された駅があるなど、
過去の栄光と現在の凋落振りを際立たせる光景が目立った。どの駅も人気が少ないが、唯一乗降客の多そうなのが水原駅だ。
ちなみにこの駅は「みずはら」ではなく「すいばら」と読むと初めて知った。
早朝ということもあり、乗客は最後まで少なかった。
本日最初の列車は気動車だった(左)。ちなみに、右側の新色への変更が進んでいる。
新津6:58発〜新潟7:18着 2223D キハ111(2)+100(1)
新津は昔から鉄道の町として栄えた。先程書いたように羽越本線は白新線経由で新潟に直接行くようになったが、
新津にはJR東日本の車両工場が作られ、E231系などの通勤型車両生産の一大拠点となり、今でも鉄道の町としての地位を維持している。
現在は立派な橋上駅になっている。
新津から乗った列車は磐越西線からの直通列車で、キハ110系列の車両だった。
新潟への通勤通学客で混んでいたが、もちろん東京ほどの混雑ではない。気動車3連で通勤通学というのも、何だかのどかだ。
新潟7:41発〜吉田8:32着 1924M 115(5)
新潟で朝食を仕入れ、吉田行きの列車に乗る。この列車は新潟への通勤列車の折り返しで、5連もの長い編成となっている。
この越後線沿線は新潟近郊のベッドタウンとなっているようで、新潟を出てしばらくは住宅地が続く。
この越後線は西川という川に沿って走っているが、この西川は海岸線と平行に流れ、
川と海岸線の間には細長い台地が続くという妙な地形になっている。線路はその台地沿いに走る。
途中の内野を過ぎると車窓は住宅地から田園地帯へと変わる。
新潟から50分で吉田に到着。
吉田8:44発〜東三条9:05着 229M 115(2)
吉田駅では越後線と弥彦線が十字にクロスしている。ただし平面交差となっていて、
越後線・弥彦線のそれぞれ上り・下り用に4つのホームがある。
まずは弥彦線の南部を乗りつぶすべく東三条へ向かう。
列車は田んぼをしばらく走ると、川を渡り燕三条に着く。
ここは上越新幹線との乗換駅だが、在来線のホームはとても小さく無人駅のようだ。
長野新幹線の佐久平駅に似た構造だ。燕三条を過ぎると、線路は高架上を走るようになる。あたりは田んぼなども多く、
線路も本数の少ないローカル線なのに高架にする必要性があるのか若干疑問ではある。
高架を下ると、東三条に到着。駅舎の横の0番線に到着。ローカル線の終点ではよく見られる光景だ。
ところが、東三条の弥彦線ホームは妙に新しい。線路をよくよく観察すると、
弥彦線が以前信越本線をまたいで南側に停車していた痕跡を見て取れた。
実は弥彦線はかつて、東三条から山手へさらに延び、越後長沢まで走っていた。
そのため、わざわざ信越本線をまたぐ線形になっていたのだろう。
ちょうど、九州の香椎線のように両端が盲腸線という路線となっていたわけだ。
しかしその東三条より先の区間は国鉄時代に廃止になってしまった。
東三条では折り返しまで時間があったので駅前を少し歩いてみた。
しかし、駅前には潰れたスーパーがあるなど、どうも活気がない。そういえば燕三条のあたりに大きな店があったが、
そこに客を取られたのだろうか。
東三条9:39発〜吉田9:58着 228M 115(2)
東三条からは同じ列車で吉田に引き返す。 弥彦線のワンマン運転用に改造された115系2連で、独特の黄色い塗装が特徴だ。 しかしこの車両、結構ぼろい。JR東日本といえば、高崎線あたりのまだ割と新しい115系をバンバン廃車にしている。 廃車にするぐらいなら弥彦線を回せばよいと思うのだが、 2連に改造するには運転台の取り付けが必要なので面倒だからやってないのだろうか。
2連の弥彦線車両。通常の新潟色とは違い黄色がベースとなっている。
吉田10:03発〜弥彦10:11着 268M 115(2)
弥彦12:12発〜吉田12:21着 269M 115(2)
吉田から弥彦行きに乗り換える。途中、とても巨大な赤い鳥居が併走する道路に架かっているのが見えた。
弥彦線の終着、弥彦駅の近くにある弥彦神社の鳥居だ。
今まで知らなかったがこの弥彦神社、かなり由緒ある神社で、弥彦線は神社への参詣客輸送のために作られたのだろう。
弥彦の駅舎は弥彦神社を意識した神社風の造りとなっている。
ここ弥彦では2時間も待ち時間がある。今回の行程は可能な限り効率化したが、ここだけはどうにもならなかった。
折角の機会なので、弥彦神社へ行ってみることにする。平日の朝ということで観光客はまばらだったが、
駅から神社までの参道沿いには土産物屋もあり、観光地となっているようだ。
ただ、神社近くの駐車場の近くの方が賑わっているようだが。
弥彦神社は、森の中を進む長い参道を備えた立派な神社だった。途中、弥彦公園という広い公園を通りつつ弥彦駅へと戻り、
折り返しの列車で吉田まで戻った。
吉田12:30発〜柏崎13:42着 136M 115(3)
吉田からは越後線の残り半分の吉田〜柏崎間に乗る。この区間、電化されている割に列車の本数が極端に少なく、
これから乗る列車も数時間ぶりの列車だったりする。
弥彦線も似たりよったりの列車本数で、行程を考えるのに非常に苦労させられた。
その貴重な列車に乗ったが、列車は相変わらず田園地帯を進んでいる。
変化といえば少し山が近くなり平野が狭くなったぐらいだ。
そして沿線には寺泊・出雲崎など聞いたことのある町がある以外見所もない。
そもそも、何故信越本線からそう遠くない所に並行する線路を引いたのか謎だ。
そして沿線には工場も鉱山もない。鉄道全盛期であったとしても鉄道を経営するには厳しい環境だと思うのだが。
話が少しそれたが、車窓が単調な上に夜行明けということもあり眠くなってきた。
そして、途中ぐっすりと眠ってしまい、気がつくと列車は終点の柏崎に到着していた。
柏崎でも乗り換え時間があるので駅前を歩く。さすがに東三条よりは都会で、駅の近くにはショッピングセンターなどもある。
とはいえ大した見所はない。当てもなく町をぶらついて時間をつぶした。
柏崎15:04発〜犀潟15:35着 1344M 115(3)
これで未乗線は全て消化したので、東京へ戻ることにする。柏崎から東京へは長岡・上越線経由でもよいが、
折角なのでほくほく線を経由して帰ることにする。
このほくほく線は「電車でGo」という運転シュミレーションゲームに登場する。
このゲームで何度も「運転」していたので、実際に車窓を見てみるのが楽しみだ。
信越本線の直江津行きで、ほくほく線の乗換駅の犀潟へ向かう。
この路線も本線の割に普通列車の本数が少ないのだが、30分で到着した。
犀潟15:37発〜越後湯沢16:58着 845M 北越急行
犀潟ではわずか2分の乗り継ぎなので、間に合うかひやひやしたが、幸い余裕を持って乗り継ぐことができた。
やってきた列車はわずか1両のワンマン電車だが、ほくほく線は特急列車が線内をかなりの高速で走るため、
特急の邪魔にならないよう普通列車もかなりの高速・高加速運転が可能な車両で運転される。
どんな運転が見られるか楽しみだ。
犀潟を出発すると、高架となって信越本線をまたぎ、続いて北陸道をオーバークロスする。
このあたりの高架橋は、ゲームでは妙に幅が細く描かれており、本当にこんな形なのかと思っていたが、
実際に見てみると本当に線路幅+20cmぐらいの幅しかない。
架線柱は高架橋を支える橋脚から直接伸びてきている。普通に走る分にはこれで問題ないのだろうが、
地震などが起きて列車が高架下に転落しないか心配になる。
やがて車窓はトンネルまたトンネルの連続となる。このほくほく線は新しい線ゆえにトンネル、
それも長大なトンネルが非常に多い。トンネルが長すぎるので、トンネルの中に列車の行き違いをする信号所があったりする。
数あるトンネルの中でも、鍋立山トンネルは非常に難工事で、完成には十年以上もの歳月を要した。
国鉄末期に工事が一時中断されたこともあったりして、ほくほく線は建設開始から開業までに数十年の歳月を要した。
そんな現代技術を駆使した路線だが、車内はいたってのどかで、
買い物袋を提げたお婆さんが運転士に運賃箱の使い方を聞いている。
結局このお婆さんに使い方を教えているうちに発車が一分ぐらい遅れた。
車窓は、トンネルを抜けると魚沼米の水田が見え、駅があり、
駅を出るとまたトンネルというパターンが続く。中には回りに全く人気のない駅もあるが、ちゃんと人が降りていった。
一応道路はあったので、家族が車で迎えに来てくれるのだろうか。
列車は信濃川の大きな鉄橋を渡ると、やがて十日町に着く。
ここは飯山線との乗換駅だが、こちらの方が高架の立派な駅で、どちらが第三セクターなのか分からない。
列車はまた長いトンネルに入る。飯山線と上越線との間にある山脈をトンネルで横切っているのだ。
このトンネルを越えると上越線との接続点の六日町に着いた。
ここでほくほく線は終わりだが、あり難いことに列車は越後湯沢まで直通してくれる。
ほくほく線はおよそ1時間おきに運転されているため、六日町〜越後湯沢間は上越線の列車よりほくほく線の列車の方が本数が多い。
終点の越後湯沢に着く頃には大分日が傾いてきていた。
越後湯沢でも1時間も待ち時間がある。1時間以上の長時間の待ち時間はもう三度目だが、
これがベストの乗り継ぎパターンだから致し方ない。
越後湯沢ではこの春にもやってきて、構内をぶらついたので今回は見るべき場所がない。
仕方ないので新幹線と在来線の乗り継ぎ改札近くのベンチに座る。改札の近くには駅弁屋があるが、
構内には誰一人おらず、商売が成り立つのか心配になる。しかし、ほくほく線経由の特急「はくたか」が到着すると、
構内はたちまち新幹線との乗り継ぎ客で賑やかになった。時間が時間だけに駅弁を買う客はそれほどいなかったが、
この光景を見るとちゃんと駅弁の需要があるのだと分かる。朝からろくに食べていないので、ここで駅弁を買うことにする。
乗車したほくほく線の車両は、
団体列車にも使えるよう転換クロスシートを装備した特別車両だった。
越後湯沢18:01発〜水上18:38着 1744M 115(3)
長岡からやってきた普通列車に乗り、水上を目指す。列車はしばらく走り、越後中里に停車した。
ここで二人連れのお婆さんが乗ってきて、
車内で酒盛りをしていたおじさん数人と話を始めたのだが、聞けば聞くほどこのお婆さん達の行動は妙だった。
この日、越後湯沢駅で美川憲一の新曲イベントがあったらしく(全く気づかなかったが)、
お婆さん達はこれに参加した後、両毛線で栃木に帰るのだという。
ところが、(多分何も考えずに)越後中里止まりの電車に乗ってしまい、
おそらく無人駅で何もないと思われる越後中里で数時間電車を待つ羽目になり、寒い思いをしたのだという。
新幹線で帰るか、せめて越後湯沢で待っていればそんな目に遭わずに済んだはずで、
果たして無事に栃木まで帰れるかこちらが心配になる。
暗くなり車窓も見えないので、買ってきた駅弁を食べる。
買ったのは「鮭そぼろ弁当」で、ご飯とおかずが別容器になっており、
ご飯の容器にお茶を注いでお茶漬けにして食べるよう箱に書いてある。
さっそく手持ちのペットボトルのお茶を注いで食べてみる。が、一口食べて重大なことに気づいた。
「お茶漬け」なのだからホットの緑茶を注がねばならない所を、冷えた緑茶を注いでしまったのだ。
これでは美味かろうはずがない。次に越後湯沢に行ったときは、
ホットの緑茶を買ってもう一度この駅弁を賞味したいと思った。
「鮭そぼろ弁当」の中身。ホットの緑茶を一緒に買いましょう。
水上18:42発〜高崎19:41着 752M 115(6)
水上からの列車も115系だった。この時間帯は景色も見えず、疲れもピークに達していてかなり辛かった。
高崎19:59発〜大宮21:16着 978M E231(10)
最後の気力を振り絞り、E231系の上野行きで東京に帰った。体は疲れきっていたが、次の日が日曜なのが救いであった。