最終更新日:2021/2/15

山口・九州乗りつぶし:三日目―台風で予定崩壊、松浦鉄道・佐賀線代替バスに乗る

目次

2004/8/19

佐賀5:43発〜肥前山口5:56着 823M 817(2)

 朝、まだ暗いうちにホテルをチェックアウトして駅に向かう。折りしも台風が接近しており、 雨こそ降っていないものの風が強い。非常に不気味な雰囲気だ。
 佐賀駅始発の長崎本線の普通列車で、まずは 肥前山口へ向かう。窓ガラスには時折、強風で雨粒が叩きつけられてパラパラと音がする。
 程なく肥前山口に到着。肥前山口は最長の一筆書き切符(いわゆる「最長片道切符」)の終着駅である。 以前、NHKの特集で最長片道切符の旅をやった時の記念碑が駅前にあった。 一特番の記念でわざわざ立派な碑を立ててしまうNHKの財力にある意味感心してしまった。


長崎地区に配置されて間もない817系で3日目がスタート。


隣のホームには佐賀始発の「かもめ」が待機中。


肥前山口で発見した立派な石碑。

肥前山口6:15発〜佐世保7:27着 923M 817(2)

 肥前山口からは佐世保線の普通列車で佐世保に向かう。やってきたのは先程と同じく、転換クロスシートの817系だ。 軌のフレームに革張りのクッションを張りつけた座席が目新しい。
 外は相変わらず強風が吹き、沿線の木々が大きく揺れている。 途中の早岐で方向転換し、逆向きとなって佐世保を目指す。このあたりは海に近いのだが、地形が険しく山が迫っている。 右手に港が見えてくると、真新しい佐世保駅に到着。
 佐世保からは松浦鉄道に乗車する予定だったのだが、 ついに恐れていた事態が起きた。強風のため松浦鉄道は始発から運転見合わせ、とのことであった。 この日は松浦鉄道乗車後、諫早から島原鉄道に乗り、島原からフェリーで熊本に行くつもりであった。 だが、この調子では島原からのフェリーが今日中に再開するかどうかがかなり怪しく、 島原鉄道はあきらめざるを得ないと判断した。 こうなると、あとは佐世保で松浦鉄道の復旧をひたすら待つしかない。台風はこの後遠ざかっていくはずなので、 昼までに運転再開してくれればと期待し、待つことにした。
 とりあえず駅にいても仕方ないので、 長期戦を覚悟し駅前の喫茶店で朝食を摂りつつ待つ。それでも一向に復旧しないので、 営業を開始した駅前のショッピングセンターに行き、 本を買ったりしてさらに待った。


佐世保駅はJR最西端の駅である。東西南北の「端の駅」ではもっとも立派だ。

佐世保11:31発〜伊万里14:15着 松浦鉄道

 11時を過ぎ、ようやく運転再開の一報が入ってきた。一日乗車券を買って改札を入り、 同じく足止めにされた学生などに混じってホームで列車を待つ。 しばらくして佐々方面から列車が入ってきた。単行の軽快気動車である。どうやらこれが11時31位分発の列車となるようだ。
 佐世保に着いて待つこと4時間、ようやく発車する。列車は佐世保市内をのろのろと走り始めると、いきなりトンネルに入る。 トンネルを抜けると、佐世保中央。民家の裏の奥まったところにある高架駅である。 この駅を出て、道路を鉄橋で渡るとすぐに中佐世保に着く。この2駅の駅間はわずか200mと日本一短い。
 北佐世保を出ると佐世保の市街を外れ、山が迫ってくる。しばらくすると左石に着く。かつて国鉄時代に、 福塩線の上下駅と組み合わせて「上下から左石まで」というポスターに使われたという駅だ。 この左石駅の構内は広い。かつて、柚木線という支線が分岐していたからだ。松浦鉄道の前身である松浦線からは、 かつて沿線の炭鉱へと何本もの支線が延びていた。だが、炭鉱の閉山とともに支線は廃止となり、 本線である松浦線自身も三セクに移行して今に至る。
 しばらくすると海沿いに出て、佐々に着く。ここには車庫があって、佐世保からの区間列車も運転されている。 佐々の次は清峰高校前。高校生が何人か下車していき、乗客はお年寄りが中心となる。 列車が空いてきたので、佐世保で買った「あごめし」を食べ始めた。 トビウオを炊き込んだご飯で、トビウオを干した身も入っている。
 列車は再び山の中に入っていく。たびら平戸口の手前で、 森の向こうにちらりと大きな橋が見えた。平戸島に渡る平戸大橋だ。 そこを過ぎると列車は右へカーブし、たびら平戸口に到着。 この駅は沖縄のゆいレールが開通するまで、日本最西端の鉄道駅だった。
 たびら平戸口を出ると、ようやく列車は海岸線近づき、 時折海が見られるようになる。沿線の風景もだいぶ鄙びてきて、 いい感じだ。だが、そんな光景を打ち破るように広大な発電所が見えてきた。その脇に「松浦発電所前」なる駅がある。 だが、屋根も何もない簡素な駅で、周囲には人家も見られない。発電所の人が通勤に使っているのかもしれないが。
 線名にもなっている松浦駅を過ぎると、海沿いのぎりぎりの所を進むシーンも見られた。 海沿いには昔ながらの漁港も残っていたが、 埋立地に作られた化学工場なども見られた。やがて海から離れ、伊万里駅に到着。
 伊万里駅に来るのは2回目だ。この駅は近年大改装が行われたと見え、 JRの筑肥線の乗り場と松浦鉄道の乗り場が完全に分離され、 間に道路が走っている。国鉄時代は一体だった両者は、今や完全に別の鉄道のような顔をしている。 昔は博多から筑肥線を通って松浦線に入り、佐世保まで行く急行などもあった筈だが、 もはや直通列車が走ることは物理的に不可能となっておりちょっと寂しい。


JR九州仕様とは微妙に異なる松浦鉄道の駅名標。


やってきた車両は、軽快気動車の中でも初期の車両で、全国の三セク線でよく見られるタイプ。


「元」日本最西端駅であるたびら平戸口。 今は本土最西端であるが、「ようこそ日本最西端の駅へ」という看板はそのままになっている。

伊万里14:51発〜有田15:17着 松浦鉄道

 伊万里駅で30分ほど待ち、有田行きの列車に乗る。 今度は前面に貫通路がついた、JR西日本のキハ120に似たタイプの車両だ。 伊万里を出ると、山の間を国道と並行して走る。この光景、どこかで見たことがあると思って考えていると、 唐津線とよく似ていることに気づいた。場所も近いので、地形が似ているのだろう。
 三セク線のご多分に漏れず、隣の駅までの間隔は1kmちょっとと短い。 多くの駅に停まりながらのんびりと進んでいく。 終点のひとつ前の三代橋では、すぐ横にJRの線路が見えた。JRと合流し、まもなく有田に到着。 列車は、JRのホームの脇にちょこんと停車した。


2003年以来一年ぶりにやってきた伊万里駅の駅名標。


伊万里から乗った車両は、先程よりやや新しいタイプ。

有田15:22発〜佐賀16:17着 2940M 817(2)

 さて、これで今日乗るべき路線はなくなってしまった。あとは宿泊地である熊本の人吉に移動するのみである。 が、まともに鳥栖経由で移動するのもつまらないし、どうするかなと思っていると、上りの普通列車がやってきた。 もう遅れは随分回復してきたようだ。とりあえず乗り込み、佐賀へ向かう。

佐賀16:30発〜西鉄柳川17:22着 西鉄バス

 佐賀からは、かつて国鉄佐賀線という路線が鹿児島本線の瀬高へと走っていた。廃止になって久しい路線だが、 今でも代替バスが廃線跡に並走している。そのバスに乗って、鹿児島本線に抜けてみることにした。 こんなことは当社は全く予定していなかったが、今日は台風のためプランがぐちゃぐちゃになってしまったことだし、 もはや破れかぶれのような心境で急遽乗ってみることにした。 駅の改札を出ると、高架下のバスターミナルに向かう。しばらく探すと、西鉄柳川行きの乗り場が見つかった。 これが旧佐賀線の代替バスだ。
 バスは南下して市街地を抜け、柳川へ向かう国道に入る。 周囲は田んぼが目立つが、国道沿いはビルや店舗が多い。佐賀線の痕跡のようなものがあればと思ったが、 バスからは何一つ確認することができなかった。 バスは諸富という集落を抜けると、長い橋で筑後川を渡り、大川市に入る。 土地はとにかく平らで、道路もほとんど真っ直ぐである。 途中道路の渋滞もなく、佐賀から1時間弱で柳川に着いた。

西鉄柳川17:49発〜大牟田18:04着 西日本鉄道

 柳川では接続が悪く、次の大牟田行き特急まで30分近く待たされた。 ようやくやってきた特急列車はまたしてもロングシートでがっかり。 しかも、天神行きの特急はクロスシートの特急専用車だったので納得いかない。
 とはいっても、乗ってしまえば大牟田までは近い。昨日も乗車した線路をかなりの速さで飛ばし、大牟田着。


期せずしてやってきた西鉄柳川駅の駅名標。


結局乗れずじまいだった、西鉄の特急専用車。

大牟田18:23発〜熊本19:10着 5361M 815(2)

 JRのホームへと行くと、もう発車したはずの特急列車が入線してきた。 どうやら鹿児島本線はまだダイヤが乱れているようだ。 疲れたし、特急で熊本までショートカットしようかと思ったが、肥薩線との接続が悪いのでやめた。
 特急の後にやってきた普通列車に乗り、熊本へ。田原坂のあたりで日が暮れてきた。

熊本20:00発〜八代20:33着 5363M 815(2)

 熊本駅前のラーメン屋で夕食を食べた後、八代行きの普通列車に乗る。 地方の列車は8時ともなるともうラッシュが収束したかのような乗車率となる。 関東や関西だと、8時から9時ぐらいが一番混んでいる気がするが。
 一面の闇の中を走り、八代着。


肥薩おれんじ鉄道が分離されたことで八代以南の鹿児島本線はJRではなくなり、JRの駅名標からも削除された。

八代20:50発〜人吉22:01着 1241D キハ31(1)

 肥薩線は八代から人吉を経て鹿児島県の隼人に至る路線である。全線に渡って風光明媚な景色を見ることができるが、 以前乗車したときは夜間に通過してしまい、景色どころではなかった。今回の旅行では、人吉より先は明日の朝乗車するが、 人吉まではまたしても夜間の通過となってしまった。自分で組んだプランなので仕方ないが、 球磨川に沿って走る景色は良いらしいので残念だ。
 八代からの列車はキハ31だった。新幹線からの発生品という転換クロスシートを装備している。 折角なので、運転席のすぐ後ろの席に座る。 車内では、運転士さんと乗客の男性がなにやら会話している。知り合いなのだろうか。
 10人ほどの客を乗せ、発車。やはり車窓は真っ暗で、川が流れているんだなというのを確認するのが精一杯だった。 前方の展望もダメで、最前列に座った意味はあまり無かった。機会があるかどうか分からないが、 次の九州旅行では是非昼間に乗りに来ようと思った。
 夜10時、人吉に到着。人気の無い駅前広場を抜け、球磨川沿いのホテルに向かう。 今日宿泊するのは人吉では随一の規模と思われるホテルだが、ロビーは閑散としている。 さすがにこの時間にチェックインする人はいないようだ。
 割り当てられて部屋に入ると、 シングルを予約したのにベッドは2つあった。そして、部屋にはなにやら怪しいドアがある。 恐る恐る空けてみると、そこには無人の会議室があった。おそらくビジネス客用の部屋なのだろうが、 会議室の付いた部屋に泊まるのは初めてである。何だか広すぎて居心地が悪いが、早々に寝ることにした。


人吉の駅前。城下町らしく、城のオブジェがある。