最終更新日:2021/6/13

中・四・九 夏の海:三日目―日豊本線と肥薩おれんじ・島原鉄道で海沿い旅

目次

2006/8/12

延岡5:46発〜宮崎7:10着

 3日目のこの日は、日中に乗車することができていなかった日豊本線南部や肥薩おれんじ鉄道に乗車後、 フェリーで熊本から島原半島に出て、島原鉄道に乗車しようと思う。
 ホテルをチェックアウトし、5時半ごろ延岡駅に向かう。関東だとこの時期は5時半ぐらいになると随分明るいのだが、 九州だけあってまだ夜が空けきっていない感じだ。
 駅舎の左側に、高千穂鉄道の小さな駅舎がある。 高千穂鉄道は九州でも屈指の景色のいい路線だったが、2005年の豪雨で大打撃を受け廃止となってしまった。 「経営を断念することとなりました」との張り紙が哀愁を誘う。 また、駅の構内には、高千穂駅にある車両基地に帰れなくなった気動車が放置されている。 用途を失い長らく放置されているせいか、錆が浮き始めている。こちらも哀愁を誘う。
 宮崎行き普通列車に乗るべくホームに行くと、817系電車が停まっていた。 車内・車外共に真新しく、古びたホームには不釣合いな気もする。 時間が時間だけに車内には誰もいない。結局、発車するまで誰も乗ってこなかった。
 延岡から日向までは2004年に乗車しているし、さらには宮崎、 そしてその先鹿児島中央までの区間も2003年に乗車している。 しかし、そのほとんどを夜間に通過してしまったため、実質的にはこれが初乗りである。 延岡を出て、五ヶ瀬川を渡と南延岡に着く。 ここまでは街の中を進むが、南延岡を出てしばらく進むと田畑や山林が目立つようになった。 時々海も見える。単線区間ながら817系はその性能を遺憾なく発揮し、列車は高速で駆け抜ける。
 途中、門川という漁港のような街で海が見えた。さらに進んで、日向駅に到着。 2004年は日向から川崎行きのフェリーに乗ったのだが、そのとき以来の訪問だ。 駅の様子は変わりなかったが、この辺りは近く高架化されるらしく、駅の裏に高架橋ができつつある。 古びた駅舎とホーム、そして最近見なくなった字幕式の出発案内が印象的な日向駅だが、 数年経ったら大きく様子が変わっているのだろう。
 日向を出て、しばらくは何もないところを淡々と進むが、都農に近づくにつれ、 見慣れない高架橋が併走するようになった。 これは、かつて宮崎で実験が行われていたリニアモーターカーの試験線だ。 線路は長らく使われていないようで、高架下には雑草が茂り、自然と同化し始めているような感じだった。 高架を取り壊すには費用がかかかるし、日豊線の高架化に転用するのも構造上難しいだろうから、 きっとこれからもこのままなのだろう。 途中の東都農駅は、そんな不気味な高架線が駅前にある以外は家もほとんど無く、何だか不気味な雰囲気だ。
 列車は都農を出て、高鍋まではずっと海沿いを走るが、 海との間に林があって海はあまり見えない。山側にも建物はあまり見られない。 乗客は相変わらず少なく、 途中の駅で帰省先から自宅に戻ると思われる男性が乗ってきたぐらいだった。 秘境といわれる米良荘から流れてきた一ツ瀬川を渡ると 佐土原着。この辺りからようやく宮崎に向かう客が乗るようになってきた。
 次の蓮ヶ池は日本を代表するリゾート・シーガイアに近いが、 ホームは狭く柵も錆びており、そんなことを感じさせないくらい質素な駅だった。 宮崎神宮を出るとやおら線路が高架になり、宮崎の町が一望できるようになった。首都圏と見まがうような高架線を抜け、 宮崎駅に到着した。


営業を停止し、無人となった高千穂鉄道の駅舎。


延岡駅の構内に放置された高千穂鉄道の車両。


駅構内には「日之影・高千穂方面」への乗り換え案内が残されている。


JR九州らしい派手な装いの713系。


近年投入されたばかりの真新しい817系。


車内は革張りの転換クロスシートとなっており、乗り心地は上々。


入口付近の天井には円形に曲げたパイプが取り付けられ、そこに吊革が付いている。

宮崎7:29発〜鹿児島中央9:38着 きりしま3号

 宮崎駅は高架ホーム二面のごく普通の駅だが、各ホームが独立した改札口を持っているのが珍しい。 つまり、ホーム間で列車を乗り継ぐには一旦改札を出ないといけないのだ。 当然売店なども地上階の改札内には無く、駅弁を買うのに一回外に出ることになった。 駅弁を買った後、みどりの窓口で宮崎から川内までの自由席特急券を買う。
 次に乗る特急きりしまは随分前から入線していた。 編成はわずか3両と短く、禁煙自由席はうち1両だけだ。 この485系はかつて、特急「ハウステンボス」で活躍した車両らしく、 カラーリングはその当時のまま原色を派手にちりばめた物となっている。 特急ハウステンボスは783系に置き換えられて随分経つので、懐かしい。 乗客はそれなりに多く、発車までに窓側の席はほとんど埋まった。 朝食がまだだったので、買ってきた駅弁をさっそく開ける。
 宮崎を出てすぐ南宮崎に停車。2003年に宮崎空港行きのバスに乗った駅だ。ここでも当然乗車がある。 次の停車駅は清武。特急停車駅にしては寂しい駅だ。 ここから都城までの区間は、驚くほど何もない区間が続く。 宮崎と県南部の中心都市である都城を結ぶ路線なのでもう少し何かあると思っていたのだが。 (まあ、日向と宮崎の間もかなり寂しい光景が続いていたけど) 特に、青井岳の駅の辺りは丘陵に田畑とわずかな農家が点在し、 しかもそれが朝日を受けて鮮やかな緑色となっていて、まるで桃源郷に着たかのような印象を受けた。 その青井岳を過ぎると、無人の森林地帯を曲がりくねりながら走る。 その間、一応日豊本線という幹線らしく、途中には信号所もあった。
 長い無人地帯を抜け、都城に到着。市の中心駅ながらホームは古びていて、「宮崎らしさ」を醸し出している。 その次の西都城は一転して高架駅。両駅とも降りる人はいないが乗ってくる人は多く、だんだん席が埋まってきた。
 西都城から国分までは、大隈半島を横切る形で走る。この間も先程までと同じく、無人地帯がを長く走る。 特に霧島神宮駅の前後は駅間も長く、電化されて特急が走っているのが不思議なぐらいの場所だ。 この区間は以前昼間に乗車したことがあるが、今回も車窓に見入ってしまう。
 列車は国分、隼人と比較的大きな町に停まり客を拾う。 自由席の客はついに席に座りきれないほどとなり、デッキに立つ人も現れた。 県庁所在地の鹿児島に向かう人が多いことが伺えるが、「きりしま」の車窓で一番の見所がこの先に控えている。
 重富を通過すると、海が間近に迫ってきた。大隈半島と薩摩半島に囲まれた錦江湾だ。湾の向こうに、巨大な桜島が見える。 並行して走る道路がやや気になるが、なかなか見事な眺めだ。海には生簀のようなものが浮かんでいる。 山側はずっと急な崖が迫っている。この景色、札幌近郊の手稲と小樽の間に似ている。どちらも電化されていて、 都市型の電車が走っている所も似ている。
 途中、わずかに市街地が広がる所がある。ここが竜ヶ水だ。 竜ヶ水を出ると、前方に鹿児島の町並みが見えてくる。 と同時に、前方に大きく広がった桜島が次第に離れていく。
 海から離れるとまもなく、鹿児島の駅に到着。 鹿児島駅を名乗ってはいるが、新幹線と在来線の列車の終点となるターミナルの機能は 鹿児島中央駅に譲っており、ホームも古びていてがらんとしている。 鹿児島を出ると城山をトンネルでくぐり、鹿児島中央に到着。 こちらは鹿児島駅とは対照的に全面改装され、まばゆいばかりだ。


JR九州らしい、派手なカラーリングが特徴的な特急「きりしま」。


側面は青、黄色、緑といった原色が使われ、かつての特急「ハウステンボス」のような塗装。


青く輝く夏の錦江湾、そして桜島。この列車の一番の見所である。


「きりしま」の中には、緑色ベースの車体も存在する。


鹿児島中央駅には、昔懐かしい存在の「サボ置き場」がまだ残る。

鹿児島中央9:49発〜川内10:02着 つばめ4号

 鹿児島中央ではわずか10分で新幹線に乗り換えねばならず、しかも弁当の調達も行わねばならない。 その割に今まで乗ってきた列車などをしっかり撮影し、改札を出る。改札を出た所の店で駅弁を買う。 流石に種類が多く、目移りする。 散々迷いながら買っているとだんだん時間が無くなってきた。急いで改札を通り列車に乗り込む。
 九州新幹線は2度目の乗車だ。車内外の装飾が凝っているのはJR九州らしい。 よくよく見ると、字幕には「つばめ 博多」と書かれているのが面白い。 と、色々面白い所がある九州新幹線だが、車窓はトンネルばかりで見所はない。 わずか13分で川内に着き、また慌しく乗り換える。


九州新幹線800系の車体。安全柵があるせいで毎回車体の写真がうまく撮れない。

川内10:09発〜新八代12:21着

 川内からは肥薩おれんじ鉄道で八代まで向かう。 この区間は、鹿児島本線でも最も風光明媚な区間だが、新幹線開業と引き換えに3セクに移行させられてしまった。 この区間も日豊本線同様、夜行列車で通過してしまっており、事実上の初乗りである。
 この肥薩おれんじ鉄道にはやきもきさせられた。 乗車するひと月ほど前、豪雨の影響で一部不通となってしまったのだ。 越美北線や高千穂鉄道の例があるので心配だったが、幸い2週間ほどで復旧した。 乗車してみると所々に土嚢を敷き詰めている箇所があり、列車が徐行していた。
 おれんじ鉄道は全線が電化されているが、交流電車を作るのがもったいないのか、 輸送力適正化のためなのか何なのか分からないが、全列車気動車で運転されている。 今度乗る列車は「観光快速 潮彩」という名前の快速列車で、停車駅は往年の特急「つばめ」並みに少ない。 観光列車という割に車両は普通の列車と同じだが、沿線の観光ガイドがテープで流れる。 この観光ガイド、結構内容が深く興味深かったが、ちゃんと聞いている人はどれくらいいるのかという気もする。
 お盆なのに10人弱しか客がいない状態で発車。しばらく走ると、海が見えてきた。 並行する道路沿いに椰子が植えられており、 南国らしさを醸し出している。最初の停車駅は西方。普段は停車しないが、 近くに海水浴場があるための臨時停車らしい。
 列車は時折海岸線に出ながら快調に飛ばす。次の停車駅は阿久根だ。 九州新幹線は出水から川内へと山の中を通過し、阿久根は素通りしてしまった。 その結果、この阿久根はかつては特急停車駅だったのに 、今やローカル線の単なる途中駅に転落してしまった。新幹線開業の頃、沿線が開業フィーバーに沸く中、 阿久根市の市長だけがテレビのインタビューで深刻な表情を浮かべていたのが印象深い。
 阿久根を出ると、再び海岸線へ出た。前方には有明海に浮かぶ島が見える。その後は田園地帯を進み、出水へ。 在来線の駅の横に新幹線の高架駅が設置されている。出水を出ると山と海に挟まれた人口の少なそうな地帯を進む。 ここが鹿児島と熊本の県境だ。時々、新幹線の高架が見える。
 やがて海沿いに巨大な工場群が見えてきた。 巨大な煙突が突き出し、ここまでの車窓と比べると何とも異様な光景だ。やがて、水俣の駅に到着。 街の裏に巨大な工場がそびえているのが見える。その規模は街の規模に比べて異様に大きい印象を受けた。 水俣といえば、公害の代名詞ともいえる水俣病の印象が強いが、それはもはや過去のものだと思っていた。 が、公害の原因となった工場がいまも操業していることにやや驚いた。 もちろん、今はきちんと環境対策をしているのだろうが。
 水俣を出るとやがて、九州新幹線と併走しながら坂を駆け上がっていく。 山に囲まれた谷地のようなところにあるのが新水俣駅で、新幹線との乗換えが可能である。 随分辺鄙な所に新幹線の駅を作ったものだと思う。
 新水俣の次の津奈木から、その次の湯浦まではおれんじ鉄道唯一の複線区間である。この区間には長いトンネルがあり、 かなり山深い所を走る。おそらく、この区間の線形改良と同時に複線化が行われたのだろう。 国鉄時代に亜幹線ではこのような工事がよく行われた。そして、トンネルの入口付近で貨物列車と初めてすれ違った。 貨物列車はELで牽引され、この鉄道を走る列車では唯一架線を使用している。
 列車は新水俣を出た後、佐敷、たのうら御身岬公園と停車。 この辺りは地形が険しくトンネルや山の中を通ることが多い。 たのうら御身岬公園を出ると、波打ち際ぎりぎりの所を走り始めた。 この海沿いの区間は長く、10km近くも続いた。 このあたりがおれんじ鉄道の車窓の一番の見所ではなかったかと思う。
 海をじっくりと眺めた後、列車は日奈久温泉に停車。ここまで来ると八代はもうすぐだ。 球磨川と一緒に肥薩線を一旦またいだ後、合流して八代駅へと入る。
 肥薩おれんじ鉄道は乗客が伸び悩み苦戦しているという。 普通の客は目新しく便利な新幹線を利用することが多いのだろうが、 おれんじ鉄道はなかなか車窓も面白く飽きることがなかった。急がない旅なら行きは肥薩線、 帰りはおれんじ鉄道といったように組み合わせて旅をしてみるのも良いのではないだろうか。
 おれんじ鉄道は八代までだが、乗ってきた快速は 博多方面の特急との接続駅である新八代まで直通する。八代駅で10分ほど停車した後、新八代へ。


川内をでると程なく海沿いに出る。遮るもののない東シナ海の眺めが広がる。


水俣駅に到着。駅名標は肥薩おれんじ鉄道独自のものに変わっているが、構内の様子は昔のまま。


八代に近づくと、八代海の対岸に位置する天草の島影がうっすらと見える。


八代に到着。ホームに停車中の真新しい気動車。

新八代12:31発〜熊本12:51着 リレーつばめ8号

 新八代に降り立つのは2回目だ。 普通に新幹線や「リレーつばめ」を使っている分にはまず降りることのない駅なのだが。 在来線の駅と新幹線の駅との間に通路はなく、まるで別の鉄道であるかのようだ。 とりあえず、新幹線乗り場の券売機で熊本までの特急券を買う。 ところが、券売機のトラブルで釣り札が全然出てこず、 すったもんだの末にホームにたどり着いた時には発車一分前。 慌てて列車に駆け込み、何とか座席を確保し、再度ホームに出て弁当を確保するともう発車時刻であった。
 そんなこんなで、車内でひとしきり落ち着いた頃にはもう熊本に着くところだった。 途中、新幹線の高架橋がだいぶ出来上がっていた。 前見た時は手付かずのように見えた熊本駅付近も、すでに複線分の更地が確保されていた。

熊本港13:40発〜島原港14:40着 九商フェリー

 熊本からは、フェリーで島原へと向かう。 フェリーの乗り場は熊本駅から10kmほど西へ行った所にあり、 連絡するバスはあるもののそれなりに時間が掛かる。 まあ何とか13時40分の船に間に合うかなというレベルだ。 当初はバスで港に向かうつもりだったが、八代駅での停車中に船会社に確認した所、 お盆のため船が混んでおり、ぎりぎりに来ても乗れない可能性があるという。 この13時40分の船に乗れないと、この後の島原鉄道の後半が夜になってしまうので、何とか乗りたい。 そこで、やむを得ずタクシーで移動することにした。
 乗り込んだタクシーで高校野球の中継を聞きながら港へと向かう。 熊本駅を出て、まずは線路沿いの細い路地を南へと向かう。 こんな道を進んでいて港に着くのかと思い始めた頃、 港へと向かう幹線道路へ出た。後はこの道を真っ直ぐ西へ向かう。 その道のりは意外と遠く、メーターはどんどん上がっていく。 最後の方はメーターばかりを気にしていた。結局タクシー代は4000円を超えてしまった。
 港に着くやいなや、窓口へと駆け込み無事乗船券を買うことができた。 その後、ターミナル内のみやげ物店などを覗いて時間をつぶす。 その後も結局、満員で旅客の受付を締め切った様子はなかった。 混んでいるというのは車両積み込みの話で、徒歩の客は余裕があったのかもしれない。
 まもなく、島原からの船がやってきた。清掃の後乗り込む。船内は結構古く、 前日乗った宿毛からの船よりも船はやや小さい。車内はカーペット敷きではなく座席だった。 混雑しているというのは嘘ではなかったようで、船内の椅子に座りきれずデッキのベンチに座る人もいた。 帰省や観光の家族連れが多く、船内の売店は大盛況だった。係員の女性は船内清掃や売店の売り子としてフル回転しており、 繁忙期だから仕方ないとはいえやや可哀想な気がした。
 熊本の町が遠のくと、程なく島原半島が見えてきた。 普賢岳は当初頂上が雲の中に覆われあまり良く見えなかったが、下船の直前には雲が晴れた。 また、これから乗車する島原鉄道の鉄橋も船内から望むことができた。


熊本港の桟橋に入ろうとするフェリー。


船内から望む島原半島。

島原外港15:19発〜加津佐16:24着 島原鉄道

 島原のフェリーターミナルは非常に新しく立派であった。しばらく土産物屋などを見て、島原外港の駅に向かう。 フェリーターミナル前からは各地へのバスが出ている。 中にはこれから向かう口之津方面のバスもあり、一瞬乗ろうかとも思ったが、やめた。
 暑い中を重い荷物を背負ってえっちらおっちらと歩き、5分ほどで駅に着いた。駅舎は町の中にちょこんとあり、 タクシーの営業所か何かのような佇まいだ。 一応交換駅になっているが、片方のホームは使われていないらしく、線路も赤錆びていた。 この駅の古びた窓口で「島原半島遊湯券」を買う。 島原鉄道の一日乗り放題と、沿線の指定された温泉に入浴できるクーポンがセットになっている。 駅の近くにも利用可能な温泉があるので行こうかと思ったが、時間が残り30分と中途半端な上に疲労がたまっており、 しかも暑くて温泉という気分にはとてもならなかった。駅の待合室にいても暑いので、仕方なく先程のフェリーターミナルに戻り、涼む。 温泉のクーポンがもったいない気もするが、加津佐まで往復するだけで一応元は取れるので、まあいいことにする。
 駅に戻り、加津佐行き列車に乗る。列車はJR九州のキハ200タイプの気動車一両で、車内は学生で混んでおり、 席を確保するのがやっとだった。私鉄らしく、市街地の小さな駅にこまめに停車する。 最初は家々の間をちまちまと進んでいたが、安徳の駅から急に真新しい高架となった。 ここが十数年前の大噴火で被災した地域で、家々もまるでニュータウンのように全て真新しい。 そして、噴火の報道で有名になった水無川という川を長い鉄橋で渡る。 この風景を売り物にしたトロッコ列車が観光シーズンに運行されている。
 そんな所をしばらく走ると、やがて風景は元に戻った。 深江を出ると、山が迫り線路は海沿いに押し出される形となる。 列車は国道と寄り添いながら、時々海の見える海岸線を進む。 海岸は小石の転がる浅瀬となっている。今は引き潮なのだろうか。
 途中の駅は無人の駅が多いが、布津、有家、北有馬といった主要駅には駅員がいるようだった。 駅舎は昭和30、40年代築といった感じのものが多い。 沿線の家々は途切れることはなく、乗客の入れ替わりもそれなりにあった。やがて、原城という駅に到着。 駅の近くには、あの天草四郎率いる一揆軍が立てこもった原城跡があるらしいが、駅からは当然見えない。
 このあたりから、線路に迫る崖が険しくなった。 途中、海岸に張り出した崖沿いを急カーブで通り抜ける箇所もあり、列車は大きく減速していた。 JR西日本のローカル線特有の大減速を思い出す。車内からは道路を挟んでではあるものの、海が間近に見える。 浦田観音、有馬吉川と、変わった名前の駅が多い。この辺りの無人駅は周辺の家々と同化している駅が多く、 民家の軒先のような所にホームがあったりする。
 列車はまもなく口之津の駅に到着。小さな港町といった趣の街だ。 この口之津からは天草の鬼池港へ向かうフェリーが出ている。 当初はこれを利用しようかとも思ったが、時間と費用が掛かりすぎるのでやめた。 この辺りまで来ると、車内の乗客はぐっと減り回送列車同然となった。 白浜海水浴場前という、島原半島南部らしい名前の駅を過ぎると、まもなく終点の加津佐に到着した。


こじんまりとした島原外港駅舎。


駅構内の様子。ホーム間の移動は昔ながらの構内踏切で行う。


しばらく待つと、黄色い気動車が滑り込んできた。


引き潮のせいか、小石の転がる干潟が広がる。


口之津駅の駅名標。昔ながらのごくシンプルなデザイン。

加津佐16:48発〜諫早19:28着 島原鉄道

 加津佐は静かな町だが、町の規模に比べて駅舎は随分大きく、駅前広場も広い。 乗降客数こそ少ないが、終着駅としての風格を持っている駅だ。 駅の目の前の浜は海水浴場となっており、結構な数の人がいる。 また、海水浴場の横にはコテージのような宿泊施設もあり、 ちょっとしたリゾートの趣だ。辺りを一通り見た後、駅近くのコンビニで飲み物を買い、列車に戻る。
 時間があったので、車両の側面を写してみた。 車体には子供を背負った女性と、風車をあしらったイラストがラッピングされている。 途中すれ違った車両にも同じデザインが施されていた。
 車内には海水浴を終えた中高生が続々と乗り込んできた。 その数は10人以上だっただろうか。クルマを使えない彼らにとって列車は貴重な足である。 列車は今来た道を島原に向かって戻る。 途中、中高生やおばさん、老人を中心にそれなりに出入りがあった。 地方私鉄の末端区間にしては健闘している方だと思う。ほとんどの若者は、学生専用のフリーパスを使用しているようだ。 このフリーパス、小中学生は500円、高校生は1000円と安く、うらやましい。
 が、島原鉄道は慢性の赤字に並んでおり、島原外港以南の区間は 廃止が決定してしまった。今乗ってきた感じだと乗客は決して少なくなく、 JRや第三セクターの路線であれば余裕で生き延びていた であろうと思われる。経営基盤の弱い地方私鉄ゆえに廃止という結果に至ってしまった。
 来た道を戻り、島原外港を経て南島原へ。ここには車両基地があり、 ラッシュ時に使用するキハ20タイプの旧型車両が留置されている。 末端部が廃止されると運用数が減り、これら旧型車両は廃止されるかもしれない。 一面ホームの島鉄本社前駅を経て、島原駅へ。この駅の乗降客は流石に多く、 ホームを埋め尽くさんばかりに乗客がひしめいている。利用者はやはり中高生が多いが、 観光や帰省の客もいる。すれ違った対向列車も乗客が多い。
 島原を出ると、海沿いののどかな風景に戻る。 左手には田畑、右手には海が広がる。特に大三東駅は、ホームの目の前が海となっている。 多比良町はサッカーで有名な国見高校の近くで、 モニュメントが設置されていた。さらに進み、西郷駅で交換待ちのためしばらく停車。 ここまでくると、島原から乗ってきた若者たちが下車し、車内は大分落ち着いてきた。
 海がすぐ横にある古部を出ると、以前物議をかもした諫早湾の防潮堤が見えてきた。 防潮堤を境に、海の色が違う。ここを過ぎると、海は見えなくなる。 海が干拓されたからだ。右手には干拓地がずっと続き、 田んぼの間を延々と走ることになる。途中には、干拓の里という駅もあった。 帰省先から帰ると思われる人が目立つ。JRに乗り換えて博多方面に向かうのだろう。
 諫早の手前、本諫早駅で10分ほど停車する。日がだいぶ暮れてきたが、 まだ辛うじて駅名標の文字が確認できる。駅名標は古風で、島鉄の駅に漂うレトロな雰囲気を盛り上げている。 本諫早を出てまもなく、JRの諫早駅の外れの専用ホームに列車は到着した。


加津佐は海に面した駅で、海水浴客で賑わっていた。


駅舎はそこそこ大きいが、人は少なくがらんとしている。


島原鉄道の気動車の車体側面。


島原に近づくにつれて、島原市街と巨大な普賢岳が近づいてくる。


南島原の構内には、独特の警戒色が塗られたキハ20が停車中。


ホームのすぐ後ろまで干潟が迫る駅も。

諫早19:11発〜博多21:00着 かもめ44号

 券売機で自由席特急券を買い、ホームへ向かう。 本来だと次に来る列車は19時48分発のかもめ46号だが、 電光掲示板にはその1本前のかもめ44号が表示されている。 どうやら佐世保線内で大雨があり、その影響で列車が遅れているようだ。 しばらく待つと列車がやってきた。ハイパーサルーンこと783系だ。 諫早で下車する人も多く、自由席は割と空いていた。結局30分弱遅れで諫早を発車。
 列車海沿いの線路を快調に飛ばすが、途中信号所で対向列車とのすれ違いをするシーンもあった。 日常のことなのか、ダイヤ乱れの影響かは分からない。 肥前山口でみどり号と連結し(向こうも遅れていたということか)、 佐賀、鳥栖、久留米と停車しながら博多へ向かう。 途中大した乗車もなく、博多着。結局遅れは拡大し、30分強遅れて到着した。
 車内では遅延したことへのお詫び放送が流れていたが、ちょっと深刻な内容もあった。 遅れの影響で、新大阪行きの最終のぞみに接続できなくなったという。 首都圏の通勤列車なら、最終列車は接続する列車の到着を待ってくれるが、 新幹線を遅らせると岡山や新大阪からの接続に影響が及んできてしまうので、むやみに遅らせられないのだろう。 乗り継ぐ予定だった人は中央改札に来るよう案内されていたが、どうするのだろう。ホテル代を出すとも思えないし、 寝台特急の「あかつき」にでも乗車させるのだろうか。
 博多駅は九州新幹線延伸に向けて工事中だった。 駅には各方面からの特急列車が集まっており、様々な列車が停車している。 今回、リニューアルされて真っ青な車体になった883系ソニックをはじめて見た。 以前のど派手なカラーリングではなくなったが、それでもインパクトは十分だ。
 しばらく観察していると、 鳥栖方面から「白いかもめ」こと885系がやってきた。どうやら乗る予定だったかもめ46号のようだ。 到着時間がこれだけしか違わないのだったら、どうせなら新型車両に乗りたかったと思った。 まあ783系も快適だったけど。
 人手の多い駅構内を抜け、博多駅近くのホテルに宿泊。 せっかく博多で宿泊したのだが、この日は早朝から分刻みのスケジュールだったため、 疲労がピークに達していた。もはや食事をしに外に出る気にもならず、あっさり寝る。


銀色から真っ青な車体に塗り替えられた883系。


構内を観察していると、後続の885系「白いかもめ」が入線。