「はやぶさ・富士」と瀬戸内海めぐり

 3月に北陸に出かけたとき、18きっぷを使ったのだが、その後使う機会がなくまだ2回分残っていた。 使う当ても無いまま4月5日ぐらいになってしまい、 これではまずいと慌ててプランを練り始めた。が、そのような状況なのでなかなか乗りに行く路線が決まらず、 只見線、大糸線、水郡線、宮島航路、呉線などいろんな案を 考えたもののまとまらぬまま金曜日を迎えてしまった。
 「はやぶさ・富士」で広島へ行こうと決断したのは結局金曜の夕方で、 「はやぶさ・富士」の指定席券を買ったのは出発日の夕方という有様あった。 そんなドタバタの旅立ったが、列車が総じて混んでいた以外は楽しい旅であった。

目次

2007/4/6

横浜18:28発〜広島5:21着 特急「はやぶさ・富士」

 夕ラッシュを迎えつつある横浜駅は人でごった返している。改札など、人が多くて列が出来ているほどだ。 そんな横浜駅の東海道線下りホームへ行く。ここも人が多く、しかもホームは工事中と来ている。 どうせなら、こんなごちゃごちゃした横浜ではなく東京駅の10番ホームで特急「はやぶさ・富士」を迎えたかったが、 どうしても時間の都合がつかずやむを得なかった。
 「はやぶさ・富士」の直前を走る東海道線の下り電車が出発すると、 「はやぶさ・富士」が間もなく来るとの自動放送が流れた。 ホームを見渡すと、通勤客に混じって大きなバッグを持った人も散見される。 やや場違いなので「はやぶさ・富士」の客とすぐ分かる。 やがて、轟音を響かせて牽引機関車が入線してきた。その後ろに、古めかしいブルートレインが連なっている。

 指定された9号車に乗り込む。 9号車は「富士」編成のB1「ソロ」である。「ソロ」とは、カプセルホテルのように小さな区画に仕切られた個室で、 普通の開放型B寝台と同料金とあって 人気が高い。この日も「はやぶさ」編成は満席で、「富士」編成に数席が残るだけだったようだ。 指定された寝台は一番端の入口近くだが、 当日購入したのでやむを得なかった。金曜の夜に席が取れただけでもラッキーだろう。
 寝台は上段で、5段ほどの階段を上ったところにベッドがある。 他に大した設備はないが、ベッドについている肘掛を引き出すことにより座席として利用することも出来る。 結構広い荷物置き場もあり、大荷物でも安心だ。
 まずは外を眺める。見慣れた横浜西口の街が通り過ぎていく。すぐ横を相鉄の電車が併走する。 通勤電車に立っている人を眺めると、ちょっとした優越感を感じる。
 乗車後すぐに、車掌さんがやってきた。広島までの寝台券を見せると、 広島到着前にドアをノックするので起きていたらその旨伝えて欲しいとのこと。 わざわざ起こしてくれるとは親切だ。客が少ないからできるのかもしれないが。 車掌さんは青いJRのバッジをつけており、言葉が広島あたりの方言ぽいことから、 下関所属なのだろう。
 しばらく車窓を眺めた後、横浜駅のデパートで買ってきた夕食を食べる。 「はやぶさ・富士」には食事を提供する施設やサービスは無いので、 買って持ち込まないと朝まで食事抜きとなる。 「はやぶさ・富士」の個室寝台に相応しい物をと、ちょっと豪華な弁当やデザートを購入した。 個室で弁当を食べながら車窓を眺める時間というのはなんとも贅沢だ。 先々週のムーンライトながらとはまるで別空間だ。当然、料金も全然違うが・・・
 あっという間に次の停車駅・熱海に到着。ここからJR東海管轄となる。暇なので車内探索に出てみる。 まずは隣の8号車、A寝台「シングルデラックス」を見てみる。 デラックスとは言ってもスペースは狭く、天井が高い以外はソロと大した違いはない 。見たところ、ほとんど客はいないようだった。 その隣、7号車は開放式寝台だ。客は5、6人といったところか。 それより先は「はやぶさ」の編成となる。折り返して今度は10号車へ行く。 ここは割に人は多く、下段はほぼ全て埋まっている。車内に人が余りに少ないので、客を見るとほっとする。 が、その隣の11号車は乗客わずか1人、12号車は無人であった。 「はやぶさ」編成はもう少し客がいるのかもしれないが、想像以上の惨状だった。 金曜の夜でこれだから、平日はもっと客が少ないのだろう。 今回、「はやぶさ・富士」に乗ったのは、健在なうちに一度乗車しておこうと思ったからなのだが、 これではほんとうにまずいな、と感じてしまった。 国鉄時代そのままの古びた洗面台・デッキが余計に寂しさ・悲壮感を増幅させる。 サンライズや北斗星とは違う、「侘しさ」をひしひしと感じた。 ついに一往復にまで減少した九州ブルトレだが、その復活はもう難しいのだろうか。
 個室に戻ると、富士に到着。隣にはながら用373系使用の東京行き普通列車が停まっている。 18きっぷシーズンとあって結構乗っている。更に走り、静岡に到着。隣には313系のロングシート車が発車を待っている。 発車間際なのにまだ空いている席があった。 東京のようにラッシュがきつくなくてうらやましい。静岡を出たところで「おやすみ放送」が入る。 朝の車内放送は柳井到着時から再開するとのこと。 そういえば、大阪の到着時間を言う際、「大阪で降りるお客様もいらっしゃいます」と何故か強調していた。 そういう酔狂な人もいるのか。
 放送を聴き終わると、明日も朝早いことだし横になる。が、流石に普段9時に寝ることなどないので寝られない。 ぼんやりしていると浜松に着く。 静岡県内からの乗車は案外多いようで、がらがらの車内も少しは客が増えたようだ。 その後、豊橋までは起きていたが、豊橋を過ぎて少し眠った。

 どこかの駅に着いたところで目が覚める。どうやら名古屋のようだ。当然それなりの乗車がある。 通常、国鉄時代の寝台用客車はデッキとの間のドアが手動の押し戸となっていて、 開け閉めしてもそれほど音がしないのだが、ソロのドアは自動ドアに改造されていて、 車端の個室にいると出入りのたびに大きな音がする。 走行中はあまり気にならないが、停車中はそれなりに大きな音で目が覚めてしまう。結局、その後しばらく眠れなかった。
 岐阜を出て、大垣を通過。反対側のホームにはムーンライトながらが発車を待っているのが見える。 関ヶ原の難所を速度を落として通り抜け、米原で運転停車。 JR東海から西日本へ運転手を交代しているのだろう。その後は、 琵琶湖線の駅を淡々と通過する。もう12時を回っているし、 とっくに終電は終わっているかと思いきや、野洲1時34分着という電車があり、わずかながらホームに客がいた。
 大津を通過し、逢坂山トンネルを抜け湖西線と合流し、山科を通過し東山トンネルを抜ける。 見慣れた光景だが、真夜中に通ると何だか新鮮だ。 0時36分、人のいない京都駅に到着。乗客はわずかながらいるようだった。 その後は半分ウトウトしていたが、淀川鉄橋を渡る音で目が覚めた。 1時6分大阪着。普段は人でごった返す大阪駅だが、当然ながら誰もいない。結局この直後寝てしまった。

 翌朝、5時にアラームがなるよう時計をセットしておいたのだが、4時59分に目が覚めた。 体内時計の正確さに我ながら感心してしまう。 外を見ると、いわゆる「セノハチ」を通過しているようだ。 ちょっと走ると、「スカイレール」という小さなモノレールの駅がある瀬野駅を通過した。 しばらくして、約束どおり車掌さんが起こしに来てくれた。 急いで身支度をし、5時21分、広島駅に降り立つ。4月だけあって朝の冷え込みがきつく、結構寒い。 遠いと思っていた広島まで来たが、やはり個室は快適で、まだ乗り足りない気がした。


9号車の入り口横に大きく描かれた「ソロ」のロゴ。

2007/4/7

広島5:51発〜宮島口6:16着

 広島駅に降り立つと、まだ空は暗かった。 駅構内には、同じ列車で広島にやってきた客と、朝まで飲んでいたであろう若者数人ぐらいしかいない。 駅前の広電乗り場もがらんとしている。 そんな中、みどりの窓口と駅弁売場は既に営業を開始している。暇なので、駅弁売場を覗いてみる。 営業していると言っても、売り子の女性がまだ弁当を並べる作業をしている状態だが、邪魔にならないよう品物を見る。 普通の駅弁に混じって、「お弁当」とだけ書かれた仕出し弁当のような紙箱に入った弁当もいくつかあった。 どうやら、お花見シーズンという事で花見弁当を 特別に作っているようだ。東京ではもう桜は散りつつあるが、ここではまだ見頃のようだ。
 今度乗る列車は、下関行きという長距離列車だ。 もっとも、山陽本線には下関発岡山行きなんて列車がごろごろしているので、 今度乗る列車はそれほど長距離というわけではない。 車両は115系3000番台という広島地区独自のもので、車内設備は117系そっくりである。 朝まで飲んでいたと思われる外国人数人と、18キッパーぽい人などを乗せて発車。 しばらくは広島のベッドタウンといった趣の場所を通る。山がすぐ近くまで迫っており、神戸の街を思い出す。
 途中の「新井口」は、「あらいぐち」と読むのだと思っていたが、「しんいのくち」と読むのだそうだ。 すぐ近くに広電の「井口」駅が見え、理由が分かった。 それにしても、西広島のあたりから広電宮島線がずっとつかず離れず寄り添っている。  これで経営が成り立つのか、そのあたりはこの後広電で折り返して確かめてみようと思う。
 車中では広島駅で購入した駅弁を食す。買ったのは「おまかせ寿司」という、 駅弁には珍しい握り寿司の弁当だ。広島名物のネタが入っている。 が、1000円もした割に見た目のボリューム感がやや寂しい気がする。 それでも朝飯にしては十分すぎる量で、少し食べ残した。


広島駅で購入した「おまかせ寿司」。

宮島口6:25発〜宮島6:35着

 宮島口のホームに降り立つと、目の前が改札口だった。改札を出ると、急ぎ足でフェリー乗り場を目指す。フェリー乗り場との間には 国道2号線が走っていて、昔修学旅行で来たときに、信号が青になって渡れる時間が異様に短かったのを記憶しているが、その信号はなくなり 地下道となっていた。
 5分もかからずにフェリー乗り場に到着。 JRの連絡船と広電系列の松大フェリーの乗り場が並んで設けられ、互いに看板を出して 競い合っている。この時間はJRの連絡船しかないためそちらへ向かう。
 連絡線は1階が車を乗せるスペース、2階が客室となっている。 早朝なので、客は10数人といったところだった。 港を出港し、宮島を目指す。といっても、対岸は割と近く見えているので、雰囲気は渡し舟に近い。

 宮島のフェリー乗り場は観光地らしく立派なものだった。人気の無い宮島を早速観光する。 まず厳島神社へ行ったが、人がいない上に引き潮で回廊の下は地面が露出しており、 何だか有り難味の無いままあっさり見終えてしまった。ただ、神社の裏に咲いている桜は綺麗だった。 その後、五重塔を見て、怪しい路地に入り海が見渡せる広場へ行った。 ここも桜が綺麗に咲いている。また、宮島名物の鹿が何匹かいた。 土産物屋が広がる商店街に下り、フェリー乗り場へ戻る。昼間は観光客で大層賑わうのだろうが、 この時間はシャッターが見えるばかりで見る物が無い。結局、一時間もしないうちにフェリー乗り場へ戻った。


厳島神社の鳥居の前を通過し、宮島に到着。 船上からは厳島神社が間近に見えた。


厳島神社の社殿と鳥居を山手から望む。

宮島〜宮島口/広電宮島口〜原爆ドーム前/胡町〜広島駅

 フェリー乗り場に戻ると、松大フェリーの船が間もなく出港しようとしていた。 帰りはJRと松大フェリーのどちらに乗っても構わないと思っていたので、急いで乗船券を買い乗り込む。 当然ながら、見える景色はJRの船と変わらない。ただ、本土へ戻る便は鳥居前を経由しないようだ。また、 こちらの船は屋上のデッキが開放されていて、ベンチが置かれている。その分収容力は若干多いと思う。 そのベンチに座り、残りの駅弁を食べた。

 宮島口のフェリー乗り場の目の前に、広電宮島口の駅がある。帰りは広電で広島まで戻ろうと思う。 早速券売機で切符を買う。広島中心部までは30分以上掛かるが、値段は200円台と安い。 ホームには、ちょうど5連接車体の新型車両が停まっていた。もはや路面電車の域を超え、鉄道車両なみの収容力がありそうだ。 ちょうど真ん中の車両の前向きのクロスシートに腰掛け、 発車。景色は先ほど山陽本線から見たのとあまり変わらない。だが、こちらの方が海に近い分海面が近く見える。 ただ、道路ごしなのでそれほど近くはない。
 JRの大体3倍ぐらいの頻度で小まめに停車し、客を拾っていく。 一部の駅には、鉄道線車両が走っていた痕跡である高床式ホームも残っていた。 土曜日だし市内までずっと空いているかと思いきや、途中駅からはどんどん客が乗ってくる。 五日市ぐらいまで来ると、いっぱしのラッシュの様相を呈してきた。 五日市のようにJRと広電両方の駅がある箇所では、てっきり広電からJRに乗り換える客が多いと思っていたが (JR明石と山電明石の関係のように)、全然そんなことはなさそうだった。 考えてみれば、広電の方が県庁や市役所がある広島の中心部へ直通なのだから、利便性を考えると 客が多いのは当然だ。路面電車が衰退した現代でも、広電が元気な理由が分かった気がした。
 やがて列車は広電西広島に到着。ぱっと見ても何だかよく分からないぐらいに 線路が入り乱れ、多数のホームが設けられている。7番ホームぐらいまであるようだ。 大都市のバスターミナルのような感じだった。 ここから軌道区間に入る。しばらくは大通りを進むが、何度か直角にカーブした後、 片側1車線の非常に狭い道に入った。何故敢えてこんな狭い道を走るのか謎だ。 道が狭すぎるため、ホームが安全地帯ではなくペイントだけとなっている駅もあった。そんな道を抜け、再び大通りへ。 ここでは、JR横川駅方面へ向かう系統と線路を共有して走るようだが、乗っている限りではよく分からなかった。 大きな橋で川を渡ると市民球場と原爆ドームが見えてきた。ここで一旦下車する。
 時間が余ったので、新天地や薬研堀といった繁華街をぶらぶらしつつ、広電の車両を撮影する。 新型の連接車だけでなく、写真のような旧型車も入り混じって走っている。 「銀閣」の看板をつけた旧京都市電の車両なども走っており、見ていて飽きない。 薬研堀あたりはあやしい店が多かったが、時間が時間だけに閑散としていた。 仕事を終えたお姉さん達が続々と引き上げて行くのが見えた。 その後、再び5連接車に乗って広島駅へ移動。


広電名物の連接車両。編成が長く迫力がある。


広島の繁華街を走る旧型の路面電車。

広島10:06〜三原12:27着 瀬戸内マリンビュー1号

 広島からは呉線周りで三原へ向かう。 呉線の東部は列車の本数も少ないが、土休日に限り専用車両を利用した臨時快速が走っている。 その専用車両というのがキハ40の改造車で、珍しい架線下DCとして知られている。 この列車は2両編成で1両が指定席となっている。 指定席は自由席より座席が少し豪華だというので、急に思い立ちそちらに乗ることにした。 広島駅に着くと、みどりの窓口に向かった。
 ところが、10時少し前に窓口に向かうと、タイミングが悪いことにマルスが10時まで止まるという。 仕方ないので窓口でしばらく待つ。 10時になり、早速残席を調べてもらう。が、何と満席との回答。 やむなく自由席に乗ることにしてホームへ走るが、既に席はだいぶ埋まっており、 ドア横のカウンターのような席しか空いていなかった。仕方ないのでそこに座る。
 広島を発車し、しばらく山陽本線を走る。広島運転所を過ぎ、上下線のホームが 妙に離れている天神川を通過。その後、立体交差で山陽本線の線路から分岐し、 海田市を通過。結構大きな駅だがあっさりと通過してしまう。 その後しばらく走ると、海が見えてきた。 線路と海との間には国道が走るだけで、遮るものはあまり無いので海がよく見える。 妙なカウンター席から海を眺める。 対岸には陸地が見える。江田島だろうか。
 この列車は広島を出ると呉まで停まらないが、呉線は単線のため、 行き違いのため3度ほど運転停車した。途中、呉ポートピアという駅がある。 以前は、呉ポートピアランドという遊園地があったが、数年前に閉園してしまった。 中身を入れ替えて施設は残っているようだが、駅名はそのままとなっている。 呉の手前、かるが浜でもまた運転停車する。ホームに立っている客がきょとんとした目で列車を見ている。 どうせなら乗せてあげればと思うが、致し方ない。
 やがて、列車は呉に到着。呉は、大和ミュージアムなどで観光客の数が増えたというが、その通りここで一気に客が降りた。 座っているカウンターは背もたれもなく 座りにくいので、中央のボックスシートに移る。進行方向と逆の席だが、 海側の窓際に座れた。呉を出ると、長いトンネルを抜け広へ。 広の次は仁方。 かつて四国へ国鉄の連絡線が出ていたところだが、そんなターミナルであったことが信じられないほど地味な駅だった。
 窓の外には、離島を結ぶ橋が見える。その後も、時折海を見ながら走る。 それにしても、観光列車のはずなのに地元客が結構乗ってくる。 この列車の10分ちょっと前に、定期列車が走っているので地元の人はそちらに乗るのかと思いきや、そうでもないらしい。 もれ聞こえる話を聞いていると、先行列車はロングシートなのであえてこちらに乗るという人が多いようだ。 たしかに、105系のロングシート車に乗せられるのは ちょっとイヤだ。
 そんな状態で、4人がぎっしりと座った狭いボックスシートでじっとしていると竹原に着いた。 全然知らなかったのだが、ここ竹原は小京都として知られ ちょっとした観光地になっているらしく、結構人が降りた。ここでだいぶ客が減り、ちょっと落ち着いた。
 落ち着いた所で、広島駅で購入した本日二個目の駅弁を開けた。 今度は「あなごめし」で、有名な宮島口駅のものではないが、味は良く、食べごたえも十分だった。
 忠海を出ると、呉線最大のビューポイントがやってくる。 本当の波打ち際を列車が走るのだ。海がすぐ目の前に見える。海は非常に透明で、青い海水の下に地面がしっかりと見える。 この区間は結構長く続いた。
 その次の安芸幸崎を出ると、今度は列車は海沿いの高台を進む。間に道路を挟んでいるものの、海岸がよく見渡せる。 海沿いは公園になっており、 夏などは海水客で賑わいそうだ。そんな風光明媚な海岸が殺風景な工場地帯に変わると、終点の三原はもうすぐだ。 山陽本線と合流し、高架の三原駅に到着した。 車内はいつしか立ち客が多数出るほど混んでいたが、次の乗り継ぎは時間がわずかなので、早めに出口ににじみ寄っておく。 折り返しの「マリンビュー」に乗ろうとする人がひしめくホームを抜け、隣のホームへと急いだ。


浮き輪とオールの装飾が独特な〔瀬戸内マリンビュー〕。 その他の部分は旧型気動車の原形をとどめている。


山陽地方ではよく見かける「あなごめし」の広島駅版。


忠海を出て少し走ると、車窓に綺麗な海が広がる。

三原12:30発〜福山13:02着

 隣のホームへ行くと、すぐに岡山行き普通列車が来た。 今度も115系3000番台だが、117系300番台のように一部がロングシートに改造されており、 クロスシート部分は少なかった。それでも残り少ないクロス部に着席。 三原を出て、側線の多数ある糸崎にしばらく停車し、尾道へ。 観光地だし、18きっぷシーズンなので多数客が乗ってくるかと思ったが、降りる客もかなり多くそれほど混むことはなかった。 坂の町だけあって、駅の裏手に平地は無い。しまなみ海道の下を抜け、しばらく田畑の間を走り、福山へ。

福山13:03発〜岡山13:50着 快速サンライナー

 乗ってきた列車は岡山行きだが、福山で快速サンライナーを先行させるため、 そちらに乗り換える。乗り換えると列車はすぐに発車した。 今度は純粋な117系で、停車駅が少ないためワンマン運転となる。テープに吹き込んだ女性の声が車内に流れる。 列車は田畑の間を快走し、新倉敷へ。どうせ新幹線の駅があるだけの何も無いところだと思っていたが、 案外乗客があった。倉敷でもさらに乗客を乗せ、岡山到着。

岡山13:55発〜播州赤穂15:08着

 岡山での乗り換え時間もわずかしかない。工事中のややこしい通路を抜け、次の列車の出るホームへ急ぐ。 が、3両編成の列車はもう客でいっぱいだった。 仕方ないので、今度は駅弁を買おうとホームを走る。が、これも見つからぬまま発車時間が迫ってきた。 仕方ないので列車に乗り、通路に立つ。 18きっぷシーズンの岡山〜姫路間は本数が少ないため混むことで有名で、並行する赤穂線にも客が流れてきているのかもしれない。 播州赤穂まで立ちっぱなしかも知れない、と覚悟した。
 が、次の高島で目の前の客が降り、あっさり座ることが出来た。非常にラッキーだった。 東岡山で山陽本線と別れ、単線の線路を行く。 実に10年ぶりの赤穂線乗車だ。 赤穂線というと瀬戸内の海沿いを進むイメージがあったが、海は全くと言っていいほど見えない。 山陽地方らしい田畑と丘陵の入り混じった所を進む。 予想通り、駅に着くたびに学生達が降りていくが、乗ってくる客も多く席はずっと埋まった状態だった。 やはり今日は客が多いのだろう。
 車窓はあまり見所はなかったが、途中ずっと山陽新幹線と併走する箇所があった。 当然向こうは高架で、池の上を豪快に通過していくシーンもあった。 山陽新幹線の岡山〜相生間は駅間が長いため、どうせなら新幹線の駅を作って 赤穂線と乗換えができるようにしたらいいのにと思うが、沿線にたいした町も無いので 無理かなという気もする。
 途中、日生の駅で行き違いのため10分ほど停車した。 瀬戸内の漁港といった佇まいの街で、ホームから瀬戸内海がよく見える。 駅の横の堤には桜が咲いている。こんな駅で、ぼんやり過ごしてみたいとも思う。
 天和を出ると、周辺に貨物ヤードが広がるようになる。 周辺に港湾が工場があり、そこに繋がっているようだ。 やがて、播州赤穂の駅に到着。目の前に新快速が停まっていて、すぐに乗り換える。


桜の花が咲く日生駅の構内。

播州赤穂15:09発〜京都17:14着 新快速

 新快速は8両と長く、後ろの方の車両は席が選び放題だった。 久しぶりに足を思い切り伸ばす。再び単線を走り、相生で山陽本線と合流。 網干の車庫には223系の新車が何本か留置されている。 震災の年に京都・神戸線に登場した223系だが、十数年たった今でも増備されているとは驚いた。 今回のは何のために造られたのだろうか。221系置き換え用だろうか。
 しばらく走り、高架化成った姫路駅に進入する。 高架化の際、クロスする山陽本線と線路を入れ替えるという 大規模な切り替えが行われ、その跡を観察することが出来た。また、姫路モノレールのレールもいまだに残っていた。 そういえば、岡山で弁当を買い損ね、広島で買ったあなご弁当以来何も食べていない。少し腹が減ってきた。 姫路で降りて何か調達する手もあるが、ちょっと訳あって見送る。
 姫路駅のホームには、乗客の列が各ドア5mほど出来ていた。 車内は一気に大混雑となる。一番端の車両でもこうなのだから、真ん中はもっと混んでいるのだろう。 その後、加古川や明石でも客を拾い、かなりの混雑になってきた。 しかも雨も降ってきている。雨の向こうに明石海峡大橋を見ながら須磨海岸を通過し、神戸、三宮と停車。 昔よく遊んだ神戸や三宮にも、もう随分来ていない。懐かしい思いで見送る。 ここ10年で随分高層マンションが増えた阪神間の街を新快速は高速で通過していく。 つい先日開業したさくら夙川駅を通過し、淀川を渡って大阪に到着。 車窓に、懐かしい梅田のビル群が見えた。それを見ると、衝動的に途中下車したくなってきた。 もう18きっぷなどやめて、よっぽど新幹線で帰ろうかと思ったが、 ぐっと我慢して通過する。相変わらず新快速は混んだまま京都へ向かう。 この列車は野洲止まりなので、後続の米原行きにどこかで乗り換えなければならないが、 今回は京都で乗り換えることにした。乗り換え時間を利用して、京都で駅弁を調達したかったためだ。
 花見客でごった返す京都駅の乗り換え通路を抜け、山陰線乗り場近くにある駅弁売り場へ向かった。 弁当はまだまだ売れ残っており、その中に欲しかった駅弁を発見した。 調子に乗って弁当を2個も買い、琵琶湖線乗り場へ戻る。

京都17:30発〜米原18:22着 新快速

 今度の列車は幸い12両と長く、座ることが出来た。 混雑の方も草津ぐらいまで来るとだいぶ落ち着き、クロスシートに一人で座っても大丈夫になったほどだ。
 そこで、先ほど購入した駅弁を開いた。購入したのは「デリシャスランチ」という弁当だ。 普通の人から見れば京都駅弁らしからぬ洋風スタイルが物珍しいぐらいで、ただの平凡な駅弁としか映らないだろう。 が、この駅弁には並々ならぬ思い入れがあった。 実は、この弁当は幼少の頃親と旅行したとき初めて買ってもらった駅弁なのだ。 大きなハンバーグが入っていたのを良く覚えており、大人になって京都駅で駅弁を買う機会があるたびに 探してみたのだが、見つけられずじまいだった。前回食べたのはもう20年近く前なので、もう製造中止になったものと思っていた。 が、とあるWebサイトでその駅弁が今も存在していることを知り、わざわざ京都で下車したのだった。
 その駅弁と約20年ぶりに再会した。 大きなハンバーグと別添のソース、ロールキャベツ。全てがあの頃のままだった。早速食してみる。 幼少の頃の記憶なので、味は美化されているものと思われ、 今食べてもどうせそんなに美味しくないだろうとも思っていたが、ハンバーグのソースは味が良く、 ロールキャベツは味が染みていて今食べてみても十分に美味しかった。 再び食べる機会があるかどうかは分からないが、思い出の味がいつまでも残り続けてくれれば幸せである。


およそ20年ぶりに食した京都駅「デリシャスランチ」。

米原18:38発〜大垣19:08着 新快速

 米原に着くや否や、大急ぎで次の豊橋行き新快速が出るホームへ走る。が、少し出遅れた上、 すでにかなり長い列が出来ており、とても座れなさそうだ。 やがて列車が入線してきたが、やっぱり座ることは出来なかった。こんなところで立つ羽目になるとは思わなかった。 しかも今度の列車は、6連と比較的長い編成にもかかわらず、である。 18きっぷシーズンを舐めてはいけないなと思った。流石にこのまま立つ気はしないので、時刻表を睨んでプランで立て直す。 結局大垣から後続の特別快速に乗り、 浜松から乗る予定だった新幹線に豊橋から乗ることにした。1000円以上余計な出費を余儀なくされるが、 疲れも限界に達しつつあるので致し方ない。

大垣19:24発〜豊橋20:46着 特別快速

 大垣で後続の列車に乗り換える人はあまりおらず、皆立って先を急ぐようだ。ご苦労様だと思う。 今度の列車は大垣始発なので、当然座れた。 名古屋までは客もすくなく、久々に落ち着いた時間を過ごす。名古屋からは流石に客が増えたが、 列車が速いのであっという間に豊橋に着いてしまった。

豊橋21:06発〜小田原22:41着 こだま552号

 豊橋駅で新幹線特急券を買い、人気の少ないホームへ降りる。が、一番端の1号車のところだけ数十人の客が並んでいる。 その連中は浜松で降りたようだが、 一体なんだったのだろうか。韓国か中国の人のようだったので、新幹線を体験するため一駅分だけ記念乗車したのかもしれない。 車内は、掛け値なしにがらがらだった。トイレがなく割と客席が広い2号車に客が3人ぐらいしか乗っていないのだから。 このまま乗車していれば東京に早く着けるが、 運賃を節約するため小田原で下車し、東海道線の最終1本前の列車で家路へ向かうことにしている。
 そんな寂しい車内で、京都駅で購入した「精進弁当」を食す。 こちらは先ほどの「デリシャスランチ」と対照的に実に京都的な弁当だ。まず掛け紙が素晴らしい。 「清水寺」「円山」「銀閣寺」と東山の山々が描かれており、 京都らしい風情に満ち溢れたものとなっている。中身も一品一品が非常に凝っており、餅麩や胡麻豆腐が美味しかった。


いかにも京都らしい駅弁「精進弁当」。

私鉄乗りつぶし状況

新規乗車キロ数

会社名路線名乗車区間キロ数
広島電鉄本線原爆ドーム前〜広電西広島3.0
宮島線広電西広島〜広電宮島口16.1
合計19.1