最終更新日:2021/4/11

近くにも旅はある(第3回)―東京の地下鉄「改札外乗り換え」で途中下車旅(後編)

 東京の地下鉄の改札外乗り換え駅を一日で全部乗ろうという旅の記録である。前編はこちら。 ルートは以下のとおりである。(東京→岩本町、黒線が乗車ルート、赤○が改札外乗り換え駅を示す)

目次

2021/3/19

池袋(7)飯田橋(8) ○有楽町線

 メトロポリタンプラザから地下に降りると、有楽町線の乗り場がある。 有楽町線乗り場は丸ノ内線やJR、私鉄の乗り場に比べると空いていることが多い。


 ホームに降りてしばらく待つと、10000系のトップナンバー編成が来た。 貫通扉や網棚がガラス製だったり袖仕切りが金属板であるなど、デビュー当時は先進的な車両だと感じられた10000系だが、 デビューからもう15年が経過し、内装にもやや年季が感じられるようになった。 池袋から4駅乗車し、飯田橋に向かう。


 飯田橋駅は有楽町線と南北線のホームが平行に設けられており、コンコースはほぼ一体化している。 しかし、東西線の駅は皇居の外堀やJR線を間に挟む形で離れており、比較的長めの地下道を歩いて乗り換える必要がある。 という訳で一旦改札を出る。


 東西線への乗り換え通路はこのような殺風景なもので、しかも間に階段に階段を挟むので歩くのは若干おっくうだ。 間に商業施設でもあれば少しは気が紛れるのだろうが、真上は外堀なのでちょっと難しそうだ。


飯田橋(8)〜九段下 ○東西線

 ようやく東西線の改札へと到着。ここからは4路線を細かく乗り換えつつ新宿三丁目へと向かう。 この辺りは路線網が複雑かつ進む方向がバラバラなので、どちら行きのホームに降りればいいのか若干戸惑う。 朝通ってきた大手町界隈は各路線が格子状に配置されていてまだ分かりやすかったのだが。 路線図で西船橋方面に向かえば良いことを確認して、ホームへ。


 しばらく待ち、やってきたのは05系の比較的古めの編成だった。 朝から全般的にそうだが、車内は座席が軽く埋まる程度の混雑で、比較的空いているのはありがたい。 わずか1駅だけ乗車し、九段下で下車。


 九段下駅にはいつの間にかホームドアが設置されていた。 ここ1年ほど東京の地下鉄にはほとんど乗車していなかったが、その間のホームドア設置駅の増加ぶりには驚かされた。 今回撮影した写真を見て頂ければわかるとおり、今やほとんどの駅にホームドアがあるといっても過言ではない。 中でも東西線は、15000系などのワイドドア車両がある上、05系も製造時期によってドア位置が微妙に違い、 ホームドアの導入は難しいといわれていたが、写真のような幅広のドアを採用することで課題を克服したようだ。


 さて、これまで新路線の建設や乗換駅の追加設定により、改札外乗り換え駅が増えたことを述べてきた。 そんな中、この九段下は改札外乗り換えでは「なくなった」数少ない駅である。 以下の写真は東西線のホームから改札口を眺めたものだが、改札口付近のみタイルなどの内装が妙に新しいことが分かると思う。


 ほぼ同じ位置から半蔵門線・都営新宿線乗り場に向かう階段を眺める。 手前のタイルの色が他とは違うのが分かる。実はかつてこの部分に東西線の改札があり、 写真の奥のエリアは階段を含めまるまる改札外であった。 しかし、半蔵門線・都営新宿線の乗り換え円滑化のため両線の間の壁が取り払われた(後述)のを機に、 東西線を含めた改札口が集約され、九段下は改札外乗り換えではなくなった。


 上記の階段を降りた先に、半蔵門線の改札口の跡が残っていた。 かつてはメトロ・都営で改札を分けていたため、トンネルの構造上半蔵門線と東西線の改札も別々に分けざるを得なかったのだが、 メトロ・都営の間の「壁」がなくなったのでその必要もなくなった。


 更に一階層降りて、半蔵門線・都営新宿線のホームに降りる。 かつてこの写真の中心部にメトロと都営の領域を分ける壁があった。 メトロ・都営の経営統合を押し進めていた猪瀬元知事の時代、この壁はメトロ・都営分立の弊害を象徴するものとされ、 「バカの壁」と呼ばれていたのを覚えておられる方もいるだろう。 メトロ・都営の経営統合の話はその後すっかりトーンダウンしてしまったが、この壁だけは取り払われ現在に至っている。


九段下〜永田町 ○半蔵門線

 九段下駅の話が長くなってしまったが、ここから半蔵門線に2駅乗り、永田町に移動する。 やってきたのは半蔵門線系統ではすっかり古参となってしまった8000系だった。 永田町駅では長いエスカレータと動く歩道を乗り継ぎ、南北線の乗り場へ移動する。


永田町〜四ツ谷 ○南北線

 永田町から四ツ谷まで、一連の乗り継ぎ中最初で最後となる南北線に乗車する。 南北線は新交通システムを思わせるフルスクリーン型と呼ばれるホームドアを採用しており、 唯一車両の写真を撮れなかった(やってきたのはメトロ9000系)。 ところで、南北線各駅のホームドアにはやたらとテレビ東京(7ch)のステッカーが貼ってあったが、 これは南北線の正式名称が7号線であることと関係あるのだろうか?多分ないと思うが…


四ツ谷〜新宿三丁目(9) ○丸ノ内線

 四ツ谷駅の地下深くにある南北線ホームから地上の丸ノ内線ホームまで、またしても長いエスカレーターに乗って移動する。 丸ノ内線ホームの横には、JR中央線の線路とトンネルが間近に見える。 ただ、総武緩行線西行の線路は少し違ったルートを通っており、この位置からは見えない。


 本日3度目となる丸ノ内線に乗り、新宿三丁目まで3駅移動する。車両は02系で、かなり初期に製造された第2編成が来た。 とはいえ車内は改装されており、あまり古い感じはしない。


 新宿三丁目は丸ノ内線と副都心線の乗換駅で、この写真に写っている乗り換え通路を介して簡単に乗り換えができる。 しかし、この駅は改札外乗り換えが可能な駅に指定されている。 なぜなら、乗り換え通路が需要に比べて狭く、朝ラッシュ時は混乱を避けるため副都心線→丸ノ内線への一方通行となっているためだ。 その間、丸ノ内線から副都心線に乗り換えるには一旦改札を出て駅構外の通路を通る必要がある。 よく見ると、行先案内の看板が電照式になっているのが分かると思う。 一方通行となる時間帯はこの看板が消灯し、手前から奥への通行はできなくなる。


 これが改札外を経由する乗り換えルートである。この改札を抜けて右奥の階段を降りるとすぐに副都心線の改札があるので、 それほど大回りという感じはしない。改札外乗り換えは時間帯関係なく可能なので、 例えば乗り換えついでに一旦改札を出てすぐ横の伊勢丹で買い物、といったこともできる。


新宿三丁目(9)渋谷(10) ○副都心線

 こちらが副都心線の改札口。東京メトロでも一番新しい路線だけあって、駅構内も明るい感じがする。


 一方、やってきた車両は東京メトロでも今や最古参となった7000系だった。 7000系は有楽町線の開業時にデビューし、その後一部を除き8連化され、 今は副都心線の各駅停車で主に使われている。8連化の際に足回りは更新されたものの、車体は流石に古さが隠せなくなってきた。 その7000系に3駅乗り、渋谷に向かう。


 渋谷は半蔵門線と副都心線は地下にあって改札内でつながっているが、銀座線は地上3階にあるため、 副都心線と銀座線の乗り継ぎに限り改札外に出てもいいことになっている。 (銀座線と半蔵門線は渋谷〜表参道間で経路が被るため、渋谷駅での相互の乗り換えはできない) 以前の記事にも書いたとおり、渋谷駅は現在大改造の最中で、 もはやどこをどう通れば銀座線に行けるのか分からない。ひとまず、手近の改札口を出ることにした。 (家に帰ってから、最適ルートを探すべく駅構内図を眺めてみたが、 こんな状態なのでやっぱり分からなかった。) 副都心線・半蔵門線の渋谷駅は東急の管轄のため、案内看板の書式がメトロとは微妙に異なっている。


 改札の周りをぐるぐる歩いてみたが、やっぱり行き方がよく分からないので、 一旦明治通り地下にある通路を北上して、一番北の出口から地上に出る。 「メトロプラザ」という比較的新しいビル(東京メトロと関係あるのかは不明)の前に出た。 その目の前には、昨年オープンした「ミヤシタパーク」があった。


 かつてこの場所には、渋谷川の上に作られた人工の公園である「宮下公園」があった。 しかし私が東京に出てきた1990年代には老朽化し、ホームレスのテントや落書きばかりが目立つ廃墟のような様相となっており、 山手線の車窓から目にしてはいたものの近づいたことはなかった。その宮下公園が再開発され、立派な商業施設に変わった。 コロナ渦のバタバタの中での開業となったためかマスコミで取り上げる機会も少なかった記憶があるが、 中は案外賑わっていて、緊急事態中ながらレストランにはサラリーマンなどが集まり、行列の出来ている店もあった。 かつての人工公園の伝統を引き継いでか、屋上には芝生広場やサッカー場もあり、そこそこ広さのある公園となっていた。


 渋谷駅の方に戻り、正面入口から建物を眺めてみる。1階はすぐ近くにあるのんべえ横丁を意識した飲み屋街になっているようだ。 ここからハチ公前広場まで歩き、銀座線乗り場に行こうとしたが、これがえらく大変だった。 かつての東急百貨店西館が解体中のため閉鎖されており、2階に上がる通路が見つからない。 結局、南口の方に回ってようやく通路を見つけた。次に来る頃にはまた大きく様変わりしていることだろう。


渋谷(10)〜表参道 ○銀座線

 階段で3階まで上がり、旧銀座線渋谷駅の降車ホーム跡に設けられた通路を歩いて、ようやく銀座線乗り場に着く。 人の肋骨を思わせる骨組みが印象的な駅構内であるが、ここから銀座線に乗るのは初めてである。 かつての銀座線とは違い頭端式となっており、何だか随分様変わりしたなと思う。 駅を出ると線路はすぐ地下に潜り、程なく表参道に着く。


表参道〜国会議事堂前 ○千代田線

 表参道で2度目となる千代田線に乗る。やってきたのは今まで見られなかった北綾瀬行きだった。 北綾瀬はかつて3両編成分のホームしかなく、北綾瀬〜綾瀬間は3連の専用編成で運転されてきた。 しかし数年前に10連が入れるようにホームが延伸され、本線からの直通も多く設定されるようになった。 メトロ16000系に3駅乗り、国会議事堂前で下車。


溜池山王〜虎ノ門(11) ○銀座線

 国会議事堂前と溜池山王は構内がつながっており、長い通路を歩いて乗り換える。 千代田線ホームと銀座線ホームの間には南北線ホームが挟まっており、この部分の距離が結構長い。 今度は溜池山王から次の虎ノ門まで、本日実に4度目の銀座線に乗る。日本の中枢に近いエリアだからか、 車内にはスーツをピシっと着込んだビジネスマンが多い。 虎ノ門駅はこの界隈の駅にしては古臭く、改札口も狭かった。何やら工事が行われていたので、そのうち改修されるのかもしれない。


 昨年の虎ノ門ヒルズ駅開業に合わせて、虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は改札外乗り換え駅に指定された。 虎ノ門の改札口付近に乗り換え経路の案内が掲示されていた。一応地下通路も整備されたが、 虎ノ門ヒルズ駅は暫定開業のため上下線ホームの改札が分かれており、日比谷方面行きに乗る場合は地上に出なければならない。 いずれにせよ乗り換え距離は400mと三越前や大手町より長く、悪名高い東京駅の京葉線乗り場までの距離に匹敵するほどだ。


 せっかく地上に出たので、このあたりの桜スポットを歩いてみることにした。 地上に出て少し南下すると、金刀比羅宮という神社がある。この境内は半分がビルに取り込まれる形になっていて、 社務所がビルと一体になってしまっているのが面白い。


 本殿はビルに囲まれるかのようにぽつんと建っていて、狭い境内には桜の木が一本植わっている。 まるでここだけが異空間のようだ。この後、近年改築された虎の門病院、ホテルオークラの脇を歩く。 この辺りは坂が多く、地図上の移動距離の割に足に負担がかかる。しかもアメリカ大使館が近くにあるため、警察官がやたらと立っていて落ち着かない。


 アメリカ大使館の脇を通り、古風なお寺とキリスト教会が対峙する間を抜けると、六本木のアークヒルズの裏に出る。 この近辺は長い桜並木となっていて、東京都心の桜の名所の一つとなっている。 だがこの日はまだ三分咲きといったところで、残念ながら見頃には程遠かった。 帰りは下り坂を転がるように進み、虎ノ門ヒルズ駅に戻る。


虎ノ門ヒルズ(11)日比谷(12) ○日比谷線

 虎ノ門ヒルズ駅周辺は再開発の真っただ中で、駅舎も改札口も仮普請の感が否めない造りだった。 階段を降りるとちょうど電車が入ってきたので、慌てて改札を抜けて電車に乗り込む。 車両はまたしても13000系だった。


 2駅進んで日比谷で下車する。ホームドアのない駅は久しぶりに見た気がする。 日比谷線はドア位置を統一するための車両の置き換えを比較的最近までやっていたので、まだホームドアのない駅が多い。


 日比谷線の日比谷駅は有楽町線の有楽町駅(どちらもたまたま線名と同じ駅だ)と改札外乗り換えが可能だ。 地下通路を経由しての乗り換えは可能だが、 新御茶ノ水・淡路町のパターンと同じく、間に都営三田線が挟まっているため改札内では繋がっていない。 今回唯一乗車機会のない三田線の改札を脇に見つつ通路を進むと、有楽町線の改札に着く。 しかしもう時刻は13時半で、いい加減腹が減ってきた。そこで昼食のため一旦地上に出る。


有楽町(12)銀座一丁目(13) ○有楽町線

 昼食から戻ると時刻はもう14時過ぎ。夕ラッシュが始まる前に回り終えたかったのだが、ちょっと怪しくなってきた。 足も疲れてきたことだし、ここからは少しペースアップしないといけない。


 やってきたのは2度目の乗車となる10000系。だが、わずか1駅進んだ銀座一丁目駅で下車する。 両駅の距離は近く、歩いても数分で行き来できてしまうほどだ。


 銀座一丁目駅は幅の狭い銀座の柳通りの下にあり、スペースを確保するためホームが2階層になっている。 都内には大江戸線の六本木駅や東西線の神楽坂駅、千代田線の根津〜西日暮里駅などいくつか似たような駅がある。 この駅もかつては単独駅だったが、近年銀座線・丸ノ内線・日比谷線の銀座駅と改札外乗り換えができるようになった。 案内板に従って銀座駅の方に向かう。このあたりからいよいよ足にガタが来て、上りの階段がきつくなってきた。 今日一日で、下手なハイキングよりもよっぽど昇り降りを繰り返しているのではないかと思う。


銀座(13)築地(14) ○日比谷線

 地上に上がると、銀座通りの目の前に出た。銀座通りを歩くのは久々だったが、 新宿や渋谷あたりと比べると大きな商業施設が少なく、老舗企業の本店が目立つのが特徴的だ。 緊急事態中だからか普段に比べるとやはり人は少ないが、それでも三越のあたりは結構な人だかりができていた。 残り時間を気にかけつつ、できて数年が経つがなかなか来る機会のなかったGINZA SIXなどをぶらつく。


 銀座四丁目の交差点あたりから地下に降りると、銀座駅が大幅にリノベーションされていて驚いた。 柱や壁面はガラス張りとなっていて、壁との間に仕込まれたライトが路線カラーに対応する色(銀座線の場合明るいオレンジ色) に光ることで案内代わりとなっている。まるで銀座の高級バーにいるかのような雰囲気である(行ったことないけど)。


 地下深くにある日比谷線ホームに降り、本日3度目となる13000系で築地に向かう。銀座からは2駅なのであっという間だ。


 築地は有楽町線の新富町との乗換駅となっている。ちなみに、大江戸線の築地市場駅は駅名こそ似ているが結構遠く、乗換駅ではない。 これが東京メトロの駅同士では最後となる、14番目の改札外乗り換え駅である。


新富町(14)月島(15) ○有楽町線

 地上に出るとこのような路地に出る。この先の信号の手前、距離にして150mほど離れたところに有楽町線の新富町駅への入り口がある。 地下道さえあれば、乗換駅としてはそれほど遠くない方だと思う。


 地下通路を進むと有楽町線の新富町駅の改札がある。主要駅というほど乗降のある駅ではないが、 比較的新しい路線だけあって意外にもコンコースは広々としている。


 新富町から10000系に乗車して一駅進み、月島に到着。ここで長かった東京メトロ区間を終え、いよいよ都営線に入る。 その前に一度地上に出て、少なくとも10年以上は来ていなかった月島の商店街に行ってみることにする。 重い足を引きずりながら通路を歩き、地上に出る。


 少し歩くと、もんじゃ焼きの店がいくつか並ぶ商店街に出た。 以前来たときはもう少し素朴な商店街だった記憶があるのだが、近年この辺りもタワーマンションが急速に増えたようで、 郊外のニュータウンを歩いているかのような感じがした。後で調べると、駅から離れたエリアはそうでもないようだが。


月島(15)蔵前(16) ○大江戸線

 再び地下に降りて、大江戸線の改札に向かう。大江戸線の駅は内装に工夫を凝らした駅が多く、 月島駅の改札口には「月」をかたどったとおぼしき装飾があった。


 ホームでしばらく待つと、大江戸線全通時から存在する12-000系がやってきた。 これに乗り、一気に5駅先の蔵前まで北上する。沿線は門前仲町、両国など下町の古い街が多い。 そのせいか、周囲の乗客は普段着姿のおじさんが多い。虎ノ門あたりの車内とはずいぶん雰囲気が違う。 浅草の少し南、隅田川沿いの蔵前で下車する。


 蔵前は大江戸線と浅草線の乗換駅なのだが、同じ社局かつ同駅名の乗換駅でありながら、 乗り換えの際は地上に出て結構な距離を歩かねばならないという、事情を知らない人からすると結構とんでもない駅である。 浅草線の駅を移設して大江戸線に近づける構想もあったと聞くが、大江戸線開業から20年以上たった今でも進展していないようだ。 乗り換え案内の看板にも「地上乗り換え 315m」との表記がある。


 仕方なく地上に出て、とぼとぼと幹線道路沿いを歩く。 疲れていたのであっさり通り過ぎてしまったが、沿道には特に目立った施設はないようだった。 浅草線の蔵前駅は、進む方向によって地上から降りる階段が異なるため、間違えないよう気を付けなければならない。


蔵前(16)東日本橋(17) ○浅草線

 地下に降りると、乗換駅とは思えない小さな改札口があった。 浅草線は都営線の中でも一番古く、最近はメトロの各駅が急速に改装を進めつつあることもあって、 東京の地下鉄では最も昔ながらの姿をよく残している駅が多い。 ホームドアも一部の駅にようやく設置され始めたようだが、設置率はまだまだ低い。


 ホームに出て行先案内を見ると、直近の電車はエアポート快特の通過でちょっとがっかり。 10分近く待ってようやく次の電車を迎える。やってきたのは京急600系。 都営の車両は遠く羽田空港や北総線まで乗り入れていることから、浅草線内で見かける機会はそれほど多くない。


 2駅乗車して東日本橋で下車する。これがいよいよ最後の乗換駅となる。 東日本橋は総武線の馬喰町駅、新宿線の馬喰横山駅との乗換駅である。 3駅とも駅名が違うので、あまりこの辺りに土地勘のない人間にとっては何ともわかりづらい。 真っ黄色の派手な案内看板に従い、改札を通る。


馬喰横山(17)〜岩本町 ○新宿線

 馬喰横山駅への乗り換え通路は思ったほど長くなく、思っていた以上にあっさりたどり着いた。 ここまで17回もの改札外乗り換えをこなし、だいぶ感覚が麻痺してきているのかもしれない。


 いよいよ最後の区間となる、新宿線の馬喰横山〜岩本町間に乗車する。 やってきたのは新宿線と相互乗り入れしている京王9000系だった。 行先は多摩ニュータウンのまだ向こうの、神奈川県の橋本という長距離運用である。


 程なく岩本町駅に到着。乗ってきた列車は岩本町で急行退避を行うようで、3線あるうちの真ん中の線路に停車した。 そういえば新宿線急行ができてすぐの頃は、急行は真ん中の線をゆっくりと通過していた記憶がある。


 岩本町で一旦改札を出て、券売機でSuicaに残った一連の乗り継ぎの履歴を印字する。 岩本町駅は神田川を挟んで秋葉原に隣接していて、秋葉原駅とは乗換駅にもなっているが、 もはや疲労困憊なのであっさり再入場し、次の新宿行きに乗車して帰宅する。 やってきたのはJRのE233系にそっくりの都営10-300系だった。


 こちらが印字した乗車履歴である。予定通り17個の「*」印が連なった。 開始から7時間近くをかけ、運賃わずか276円ながら乗り換え回数が24回にも及ぶ「長旅」が終わった。