最終更新日:2021/1/25

世界鉄道案内(南仏、パリ編)

 2016年に、仕事で南フランスのコート・ダジュール地方を訪問する機会があった。 また、飛行機の乗継ぎの時間を利用して、パリを訪問することもできた。 フランスは古くから高速鉄道を走らせ始めるなど、鉄道に関しては進んでいる印象があった。 今回はコート・ダジュール地方という辺境の地に少しいただけなのでフランス全体の印象はわからなかったが、 一応フランス国鉄には乗ったし、パリの地下鉄にも乗った。
 今回も短い滞在期間かつ仕事での出張ということで、 自由時間はほとんどなかったが、現地の鉄道事情について分かった範囲で紹介しようと思う。

目次

フランスの鉄道基礎知識

 フランスの鉄道は、大都市圏の地下鉄や通勤電車を除き、フランス国鉄が一元的に運営している。 現地ではSNCFの略称で呼ばれることがほとんどであり、以下そのように記載する。 SNCFの路線総延長は実に29000kmで、日本のJRの2倍以上である。フランスは日本と違って山が少ない分人口密度が低く、 過疎のローカル線も多いようだ。そのためか電化率は約50%、複線化率は約20%にすぎない。
 特筆すべき点として、パリを中心に東西南北各方向に高速鉄道専用線が敷かれており、ここを走るのが有名なTGVである。 日本の新幹線と違って、TGVは在来線と軌間や車体規格が共通で、高速鉄道と在来線の直通運転も頻繁に行われる。 その他、TGVの通らない路線をカバーするIntercitesという特急列車も存在する。
 余談だが、SNCF各駅では案内放送の冒頭に共通のチャイムが流れるのだが、 これがとにかく印象的で、芸術の国フランスのセンスを感じさせるものだった。 こことかで聞くことができるので一度聞いてみて頂きたい。
 次にパリであるが、都市圏人口1200万を数え、東京都に匹敵する人口規模を誇る。 街の中央にはセーヌ川が流れており、ロンドンのテムズ川と同じく広い川幅となっている。
 ロンドンと同じく、パリ市内には地下鉄路線が多数走っているほか、RERという名前の郊外電車(市交通局が運営)も市内に乗り入れてくる。 それ以外の路線はSNCFの管轄となり、パリ北駅などのターミナルから発着する(らしい:乗っていないので詳細は分からず)。 詳しくは交通局の公式サイトにある パリの全鉄道路線図を見ていただきたい。1〜14の番号が付いているのが地下鉄、アルファベットのA〜EがRER、H以降がSNCF路線である。

鉄道乗車記

日本からパリ・ドゴール空港、そしてコート・ダジュールへ

 日本からコート・ダジュールへ向かう場合、日系航空会社で(EU圏内を別切りせずに)一括発券しようとすると、 ルートは主に2つ考えられる。1つは、スターアライアンス系のANAとルフトハンザを乗り継ぐ方法で、経由地はフランクフルトやミュンヘンとなる。 もう1つは、JALとエールフランスをパリで乗り継ぐ方法。両社は所属アライアンスが異なるが、通しのチケットが買えるよう連携している。 普段はANAを利用することが多いのだが、折角ならフランクフルトよりパリを経由してみたいと思い、 JALを利用してパリで滞在時間を確保できるような行程を組んだ。
 まずは羽田午前発の便でパリに向かう。前年ロンドンに行った時と同じく、機体はボーイング777-300ERだ。 またしてもシベリア上空を延々飛び、14時過ぎにパリ・ドゴール空港に到着した。 ドゴール空港は世界屈指の巨大空港で、トランジットにどれほど時間がかかるか不安だったのだが、 乗り継ぎ便の出発するターミナルへの距離は比較的短かった。 しかもトランジット専用の入国審査場はガラガラで、ほぼ一瞬でパスできた。 だが、これから乗り継ぐコート・ダジュール行きのエールフランス便は遅れているという。
 仕方なく、軽食を購入してコンコースのベンチで食べる。ターミナルはガラス張りで、空港の様子がよく見える。 時差ボケで頭がぼんやりするし、国内線ターミナル内ということで大した店もなく、ただただ待つしかない。 飛行機は到着が遅れた上、折り返しの準備や搭乗に手間取り、結局1時間近く遅れて出発した。 出発する頃には周囲はもう真っ暗になっていた。
 海外航空会社の国内線に乗るのは久しぶりだったが、アメリカの航空会社などと同じくCAさんはそっけない感じだった。 ただ、制服はクラシカルかつ洒落ており、歴史の重みを感じさせる。 暗闇の中を1時間余り飛んで、ようやくコート・ダジュール空港に到着。 空港は市街地から遠く、さらに延々とタクシーで移動しなければならなかった。 ホテルに着くころにはもう疲労困憊で、おかげでその夜風邪を引き、翌日昼まで寝込む羽目になった。

フランス国鉄試乗

 その後しばらくは仕事に専念していたが、帰国日の前日に少し時間ができたので、フランス国鉄(SNCF)に試乗してみることにする。 やってきたのはコート・ダジュールにあるカンヌ駅である。 カンヌといえば映画祭で有名なところだが、都市の規模としてはそれほど大きくなく、 駅前には日本のいわゆる商店街をおしゃれにしたような街並みが広がっている。 駅も2階建ての小規模なものだ。ここからは地中海沿いに線路が伸びており、 西はマルセイユ、東は観光地として名高いニースやモナコ、そしてイタリアへとつながっている。 今回は時間がないので、20kmほど離れたニースまで往復してみようと思う。
 まずは駅で切符を購入する。普段使っているクレジットカードが何故か使えず、予備のカードを急遽使うなど苦戦しつつも何とか買うことができた。 券売機は当然ながらフランス語で表示されるので面食らうが、ボタン操作で英語に切り替えることができる。 余談ながら、今回の旅行ではタクシー、飲食店、ホテルの窓口、ルーブル美術館のチケット売り場などなど、 現地の人と会話する機会が何度もあったが、ほぼ全て英語が通じた。 念のためフランス語の会話集を持って行ったのだが、使う機会は全くなく、拍子抜けしたほどだった。
 駅舎はガラスを多用したモダンなデザインで、構内にはキオスクや待合室もあり人で賑わっている。 また、駅舎とホームとの間には有人の改札口はなく、乗客は入口に設けられた小さな機械に自分の切符を通すことになっていた。
 少し早めにホームに出て列車を眺める。アメリカのAmtrakなどと同じく、ホームは低く線路からの高さはほとんどない。 駅の上には建物が建っているのか、駅構内は屋根に覆われていてやや薄暗い。 しばらくすると、反対方面に向かうローカル列車がやってきた。 車両は両開きのドアがついたオーソドックスなものだが、前面には派手に落書きの跡があった。 イギリスではあまり見かけなかったのだが、フランスでは落書きがそのままになっている車両をしばしば見かけた。お国柄の違いだろうか。
 しばらくすると、ニース方面に向かう列車がやってきた。 今回乗車するのは、地域内快速列車のIntervillesである。 Intervillesは普通列車と違って一等車を連結しているので、今回は試しに一等車の乗車券を買ってみた。 車内に乗り込むと、座席配置は日本では見かけない6人用半個室(コンパートメント)が並ぶタイプだった。 座席のサイズやピッチは二等車に比べて大きいのだろうが、他の人がいる部屋には入りづらい。(特に座席の指定はなく、席は自由に選べるようだった) 一番端の部屋を見ると、荷物が置いてあるものの誰もいなかったので座る。 しばらくすると、乗務員の人が何人かやってきて座った。どうやら、荷物は彼らのものだったらしい。
 カンヌ駅を発車した列車は、ほどなく地中海沿いに出る。リゾート地らしく、時折ビーチやホテルも目に付く。 一方山沿いに目を転じると、山の上の方まで建物があるのが分かる。何となく、東海道線の熱海あたりに雰囲気が似ている。 唯一の停車駅のアンティーブを過ぎ、コート・ダジュール空港の脇を過ぎるとだんだんとビルが増えてきて、ニースに近づいてきたのが分かる。 しかし、列車はニース駅の手前で停車してしまった。乗務員がフランス語で何やら放送しているが、その内容は当然分からない。 反対側の列車も来ないので、ニースの駅で何かトラブルがあったのだろうか、と推測したものの何もわからず、 結局30分ほど経ってようやく再出発した。カンヌから1時間以上かけて、ようやくニース駅に到着。
 ニース駅はクラシカルな駅舎とホームを覆う大屋根を備えた、いかにもヨーロッパのターミナルといった様相の駅で、 ホームも4面ほどある大きな駅である。パリやマルセイユ方面からの長距離列車と、国境を越えてイタリア方面に向かう列車との乗り継ぎ駅となっているらしい。 帰宅時間帯ということもあって、乗り降りする人の数もそこそこ多い。 ひとまず券売機で、折り返しの切符を買う。今度乗るのは料金不要の普通列車だが、たとえ普通列車であっても列車の時刻を選んで切符を買う必要があった。 その後はしばし駅構内の店で土産物などを物色しながら待つ。
 やってきた普通列車は、2階建ての車体にボックスシートが並ぶ、日本でいえば215系のような車両であった。 日本と比べて車体が大柄な分、座席の配置にはゆとりがあった。 座席が一通り埋まるほどの乗客を乗せてニースを発車、各駅で帰宅客を吐き出しながら40分ほど走り、カンヌに到着した。


小ぶりながら近代的なカンヌ駅。


カンヌ駅を発着するローカル列車。車体への落書きが酷い。


Interciteの一等車の車内。3人掛けのシートが2つ向かい合わせに並ぶ6人用コンパートメントとなっている。


ニース駅の構内。ヨーロッパらしい高い屋根の下に列車が並ぶ。


他のターミナル駅と同じくレトロなニース駅の駅舎。


ニースからカンヌに向かう普通列車。全車二階建てとなっており、座席定員はかなり多い。

コート・ダジュールからパリ市内へ

 翌日、朝の便でコート・ダジュール空港からパリへ移動。 パリから東京へ戻る便は夜に出発するので、それまでパリ市内の鉄道に乗りつつ、軽く観光もしてみようと思う。 ドゴール空港でスーツケースを預け、身軽になって市街に向かう。
 空港からパリ市内への移動手段はいくつかあるが、一般的にはバスがメジャーらしい。 一方、鉄道での移動も可能で、RERのB線が空港に直結している。 ところが、このB線の沿線はパリの中でもかなり治安が悪いらしく、B線自体の治安もよろしくないらしい。 日中は、パリ中心部から空港までノンストップの快速列車が20分おきにあるので、こちらを利用することにした。
 まずは空港第二ターミナルの中央にある駅へと向かう。フランス各地へ向かうTGVの乗り場の横に、RERの乗り場がある。 切符を購入してクロスシートが並ぶ車内に乗り込むと、幸い乗客は空港利用者ばかりで特に問題なさそうだ。 シートは鮮やかな色のモケット張りで、ポップな感じがする。ちなみに、編成はかなり長く、8両か10両ぐらいはありそうだ。 ラッシュ時などは通勤客の利用が多いのだろうか。
 発車直前に大きな機材を抱えたおばさんが乗ってきて、 機材で伴奏を流しつつ、フランスらしいシャンソンの曲を歌い始めた。 最初は観光客向けのサービスなのかと思ったが、どうやら勝手に乗り込んできてチップをねだろうとする輩のようだ。 当然ながらチップを拒否すると、おばさんは本来非常時にしか使えないはずの貫通扉を無理やりこじ開けて隣の車両へと移っていった。
 列車は空港を過ぎると地上に出て、しばらく人気の少ない土地を走る。 途中には東京ビッグサイトのような巨大な展示場があって、その横には駅も設置されている。 しばらく走ると、B線のもう一つの起点駅であるミトリー=クレイ方面からの線路と合流する。 ここからの車窓はめまぐるしい。様々な方面からの線路と合流・分岐する上、沿線には貨物ヤードや車両基地が多数あり、 ポイントの数も半端ではない。中には、複数のポイントをゆっくりと渡って駅に進入し、駅を出るとまたポイントを渡る、という個所もあった。 日本だと本数の多い路線はなるべくポイントを渡らなくて済むよう線路を配置するはずだが、こちらはあまり気にしないのだろうか。
 そうやってパリ中心部に近づくにつれ、建物がだんだん密集してくる。「危険地帯」と聞いていた沿線は、特に危なそうには見えなかった。 線路が地下に潜ると、パリ北駅に到着。ここで別方面からきたRER D線と合流する。 次のシャトレ=レ・アル駅ではA線とも合流する。路線間の乗り継ぎや列車の行き来ができるよう、 この駅ではA線、B線、E線の列車がずらっと横に並ぶ構造になっている。東京駅の総武地下ホームを倍のサイズにしたような感じの駅だった。
 次のサン=ミッシェル=ノートルダム駅はその名の通りノートルダム大聖堂の最寄り駅だが、そちらは後で立ち寄ることとして、 RER C線に乗り換える。C線はB線と比べて車体規格が大きいらしく、前日乗ったのと同じような2階建て車両が来た。 車内は空いていて、ボックスシートに座ってくつろぐ。 列車はセーヌ川に沿って地下線を西に進み、その名の通りエッフェル塔の最寄り駅であるシャン・ド・マルス=トゥール・エッフェル駅に到着した。 駅は地下線から地上への出口付近にあり、ホームの一部が地上に露出した構造になっていた。


RER B線の車両は、どことなく日本の私鉄車両に似ている。


RER C線の車両は、2階建ての大ぶりなもの。


RER C線の車内はSNCFの一般車両と同じく、ずらりとクロスシートが並ぶ。

駆け足でパリ探訪

 駅を出て少し歩くと、パリの象徴であるエッフェル塔の足元に到達する。 塔の下は広い公園になっているのだが、塔の周辺には柵が設けられ、入場者以外は入れないようになっていた。 時間がないので塔に上るのは断念することにした。また、塔の近くにはお土産物を露天販売するアフリカ系の人が多数いた。 ちょっとびくびくしながら先を急ぐ。
 セーヌ川を渡ると、対岸にはトロカデロ庭園という噴水などを備えた大きな公園があり、ここからエッフェル塔を改めて眺めた。 シャイヨー宮という、現在は博物館などとして使われる建物を抜けると、地下鉄のトロカデロ駅に着く。 ここから地下鉄6号線に乗って、凱旋門方面へ向かう。
 やってきた車両はRERの車両に比べて小ぶりで、若干古めかしい。 初めて乗車する者には若干わかりづらいのだが、ドアのところには小さなつまみのようなものが付いていて、これを回すとドアが開く仕組みになっている。 また、札幌の地下鉄などと同じく、車輪がゴムタイヤになっているのも特徴的だ。
 トロカデロ駅から3駅分乗車して、シャルル・ド・ゴール=エトワール駅に向かう。 車内は混みあっていて、スリなどに遭わないか若干不安になる。 また、狭い車内ながらもロングシートではなくクロスシートになっている。これもフランスならではのこだわりなのだろうか。 シャルル・ド・ゴール=エトワール駅はこの路線の終点なのだが、一般的な終着駅と違って線路がラケット状になっており、 車両は折り返すことなくそのまま直進する仕組みになっていた。日本でいえばニューシャトルの大宮駅のようだ。
 地上に出ると、目の前には凱旋門があった。想像していたよりも大きい。 ひとしきり眺めた後、シャンゼリゼ通りをひたすら歩き、エジプトのオベリスクがそびえるコンコルド広場に着く。 ここからは地下鉄1号線に2駅乗り、パレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅へ。 1号線の車両は比較的新しく、ごく普通のものだった。
 ルーヴル美術館を1時間ほどで慌ただしく見学し、今度は7号線に乗る。車両は先程乗った6号線のものによく似ている。 今度は2駅だけ乗り、シャトレ駅へ。この駅は地下鉄5路線に加え、RER3路線も集まる交通の要衝だが、 とにかく地下通路が入り組んでいて、外に出るのも一苦労だった。 パリもロンドンと同じく、地下鉄の通路は古くて狭く入り組んでいて、バリアフリー化も進んでいない。
 最後にノートルダム大聖堂を眺めて、サン=ミッシェル=ノートルダム駅からRER B線に乗って空港へ戻る。 乗ったのは夕方ラッシュ前、快速列車の最終便である。今度はシャンソンおばさんが出没することもなく、無事空港に到着。 その後は滞りなくチェックインを済ませ、日本への帰路に就いた。
 ヨーロッパを訪れるのはロンドンに次いで二度目だったが、歩いて街並みを眺めるのも鉄道に乗るのも新鮮で楽しかった。 特にパリは駆け足での訪問となったため、プライベートでじっくり歩いてみたいと思った。 しかし、イギリスに比べると鉄道車両の手入れの悪さや、治安の悪さ(特にパリ市内)が少し気になったのも事実だ。 この頃はフランス国内で大きなテロ事件が頻発しており、機関銃を持った警察官がシャンゼリゼ通りをうろついているのを目にした記憶がある。


テムズ川と同じく、セーヌ川にも観光船が走っているようだ。


地下鉄6号線の車両は日本の車両と比べてもやや小ぶり。


地下鉄ながら車内にはクロスシートが並ぶ。ドアを開閉するためのつまみは小さく、わかりづらい。

フランスの観光地

 パリはいうまでもなく世界的な観光都市だが、滞在時間が短かったこともありごく一部しか見ることができなかった。 一方のコート・ダジュールは日本では観光地としてはあまりメジャーではないが、海と山に囲まれた美しい街並みは見て歩くだけで楽しかった。 それでは、実際に見て回った中からいくつか見所を挙げてみようと思う。

カンヌの街並み

 カンヌは三方をぐるりと山に囲まれた街で、平地は多くない。 海沿いにリゾートホテルがいくつかある以外は、市内に高い建物は少ない。 中心部は今風の店などが多いが、少し離れると狭い路地や昔ながらの家々がよく残っている。 途中、大理石造りの手洗い場がそのまま残っていたりもした。
 ガイドブックを見ても、特に有名な建物などは載っていなかったので、 あてもなく山の上の教会の古めかしい時計台を目指して歩いてみた。
 教会はやはり観光客向けの施設ではないようで、がらんとしていた。 山の上からは、白い壁、朱色の屋根に統一されたカンヌの街並みと、地中海沿いのビーチや港が見渡せた。


カンヌ中心部は商店などが立ち並ぶごく普通の町並みが続く。


カンヌの中心街を外れて高台のほうに歩くと、こんな風情ある路地が。


今も水が流れている石造りの手洗い場。


高台の上にある古い教会の時計台。


高台から見るカンヌの町並みは美しい。


海沿いに目を転じると、カンヌ映画祭で使われるコンベンションセンターが見えた。

エッフェル塔とトロカデロ庭園

 次に、ありきたりではあるがパリの見どころも紹介してみる。 まず、パリの象徴であるエッフェル塔だが、パリ中心部のやや西よりにあり、バスやタクシーでアクセスする必要がある。 塔に登るためには厳重なセキュリティチェックを通過する必要がある。 そのため、登って降りるだけでかなりの時間を要すると思っていたほうがよい。
 セーヌ川をはさんで反対側にあるのがトロカデロ庭園。ここは少し高台になっていて、エッフェル塔の全体像を写真に収めるにはちょうど良い。


トロカデオ庭園から眺めるエッフェル塔。


エッフェル塔を足元から眺める。骨組みの構造はかなり複雑だ。


トロカデロ広場に隣接するシャイヨ宮は、博物館として利用されている。

凱旋門とシャンゼリゼ通り

 凱旋門もパリの名物だが、周囲を幅の広い道路がぐるっと取り囲む形になっている。 そのため、足元に近づくには地下道を通る必要がある。 また、(私は登らなかったが)凱旋門の上にも登ることができる。門の内部の通路を通る形となり、これも地下道からアクセスする。
 凱旋門からは放射状に12本もの道路が伸びていて、油断していると方向が分からなくなる。 12本の中の1つがシャンゼリゼ通りで、シャネルやヴィトンなどのブランドショップ、フランスらしいカフェ、マカロンやケーキを売る洋菓子店などが延々1km近く並ぶ。 買い物好きな人ならここで一日はつぶせそうだ。
 フランクラン・デ・ルーズヴェルト駅という地下鉄駅付近でショップは途絶え、その先の通り沿いは本来公園になっているのだが、 今回訪問した11月末はクリスマスマーケットが開催されていた。メインはクリスマスの飾りを売る店だが、 ホットワインや軽食を売る店や、子供用の遊具を置いたスペースもあった。 その距離はかなり長く、コンコルド広場まで500mぐらい続いていただろうか。


凱旋門の周辺は、交通量の多い環状の道路に囲まれている。


シャンゼリゼ通りの歩道はかなり幅広い。


カルティエのショップもクリスマスの装い。


クリスマス前の約1か月のみ開かれるクリスマスマーケット。小規模ながらカンヌでも同じようなものを見かけた。


クリスマスグッズを売る屋台が延々と立ち並ぶ。


コンコルド広場のオベリスクと、ここにも観覧車が。

ルーブル美術館

 コンコルド広場から地下鉄で2駅のところに、ルーブル美術館がある。パリにはオルセー美術館など数々の美術館があるが、 ルーブルはその中でも最大規模で、全部きっちり見て回ると3日はかかるという。 今回は時間がないので、小一時間で有名どころを見て回ることにした。
 美術館の中央にあるガラス張りのピラミッドの地下が入り口になっているので、エスカレーターで降りる。 すると、地下には広大なスペースが広がっていた。古めかしい建物と対照的に近代的なチケット売り場で入場券を購入し、入場する。 まずは一番有名なモナリザのあるエリアに向かう。 館内には基本的に、そのエリアに何が展示してあるかしか表示がないが、モナリザだけは小さく道順が表示してある。 それを頼りに歩くが、モナリザにたどり着くのに10分近くかかった。 モナリザは思っていたよりも小さい絵だった。他の美術品はすべてむき出して飾られているが、モナリザだけはガラスのカバーがかけられていた。 その後、ミロのヴィーナスや、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」などを見て歩く。
 出口を出て、地下鉄駅に向かおうとすると、ショッピングモール並みに広大なミュージアムショップとレストラン街があり、 マクドナルドなどのファーストフード店もあった。観光の後の食事やお土産の購入に使えそうだ。


ルーブル美術館名物のガラスのピラミッド。


ルーブル美術館では展示品の多さと建物の広さ、観光客の多さに圧倒された。


ガラスのカバーに覆われたモナリザは意外と小さかった。


ミロのヴィーナスやドラクロアの絵画はむき出しで置かれていた。

ノートルダム大聖堂

 再び地下鉄で移動し、ノートルダム大聖堂へ向かった。 ノートルダム大聖堂は2019年に火災で大きな被害を受けてしまったが、当時は無料で中に入ることもできた。 ウェストミンスター寺院並みに壮大な外観を眺めた後、中に入る。 中ではミサが行われており、最深部までは入れないようだったが、高い天井や巨大なステンドグラスを眺めることができた。 改めて外から建物を眺めると、外壁にはびっちりと精緻な装飾がされているのがわかる。


精緻な装飾がなされたノートルダム大聖堂。


中には首が取れてしまった(?)人の像も。


建物の中は荘厳な雰囲気に包まれていた。


建物中は意外に奥行きがあり、広いスペースになっている。


ノートルダム大聖堂はセーヌ川の中州に建っていて、すぐ横を川が流れる。

フランスの食事

 フランスは美食の国といわれるだけあって、何を食べてもおいしかった。 コース料理の出る店にも何度か行ったが、盛り付けも美しく、いずれも満足できるものであった。
 他の欧米の国と同じくフランスも主食はパンなのだが、必ずと言っていいほどフランスパンが出てくるのが印象に残った。 ホテルの朝食ビュッフェには普通の食パンも置いてあったが、 それ以外はどこに行ってもフランスパンばかりで、コース料理の付け合わせのパンやホットドックのパン、マクドナルドのハンバーガーのバンスですら例外でなかった (マクドナルドに関しては、通常のパンを使ったメニューのほうが多いが)。 旅の最後のほうになると、普通のパンが少し恋しくなった。


マクドナルドのハンバーガーのバンスもフランスパン。


パリのクリスマスマーケットの屋台で買ったホットドック。ソーセージの周りのパンがフランスパンだった。